Retrovirus
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鈍玉

 今にも滴を零してしまいそうな程に強く揺れた白羽の表情に、意図せず疵痕を踏みつけてしまっていた自身の軽率さを悔やんだ。
 直に言及した訳ではないが、振った話からは簡単に連想される事くらい予想が着くだろうに。
「………………」
 伏せられた目元が微かに震えていた。
 今のこいつには、どんな些細な記憶でも、胸を鬱いでしまう棘となってしまうのだろう。
 それ程までに隠し切れない深い悲しみに触れ、息が詰まる思いだった。

(……いや、そうじゃない)
 わたしが今感じているものと、こいつが感じているものは、まったく正反対の感情だ。

「……あいつの事は」
 遠回しに、白羽が影を追うアミティエを指す。
 それだけで、細い睫毛を振るわせていた目尻が僅かに鈍く光った気がして、
「…………」
 続けるつもりだった「忘れろ」と云う言葉を無理矢理に飲み下した。
 それは、本意ではないからだ。

 云ってしまえば更に傷を抉ってしまう事は解っている。
 けれど、いつまでも同じ場所に立ち続ける事程、愚かな事は無い。
 ――白羽も、それは解っている筈なんだ。

 いつの間にか握り締めていた両の拳を解くと共に、ゆるゆると胸に溜まった息を吐く。
 それから、痛みを見せる白羽を一瞥し、車椅子のハンドリムに手を掛けた。
 僅かに軋んだタイヤが場に引き摺られたかのような物哀しいノイズを立て、半回転で止まる。
 並んだ隣から見上げた先は、わたしとは反対の空を見つめる沈んだ書痴仲間の顔で。
「……白羽」
 今にも緩んでしまいそうな空気を振るわせないよう、声を潜めて反応を待った。
 たっぷり二呼吸分の間の後、目線だけで声の方向を探る白羽がゆっくりとわたしを認める。
 そして、わたしがすぐ傍に居る事に、悲しみを色濃く映してた目線が僅かに吃驚に染まった。
 口を開かれる前に、無防備に投げ出されていた白羽の右腕を取り、自分へと強く引き寄せる。
「っ?!」
 不意の事にバランスを崩した白羽は、そのまま前のめりにこちらへと倒れて来て、わたしはそれを抱き留めた。
「えりかさ……!?」
「いいから」
 咄嗟にわたしの肩を押し返し逃れようとする白羽の首へと腕を回し、ぐっと抱き竦める。
 そうしてから、
「暫く、このままで」
 潜めた声音のまま、近くなった耳元に囁いた。

 胸を鬱ぐ原因となっているこいつのアミティエの事で憂う顔を、これ以上見たくないと思った。
 いつも見せてくれていた温柔な笑みが、これ以上曇ったままでいるのを止めさせたいと思った。

 ――これ以上、あいつの影を追う事で傷付く姿を見たくないと、思った。

 胸の奥に沸き立った感情は、同情の念ではなく焦燥に似たものだった。
 友を憂う情感の中に、果たして、それは――――

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