マスカットキャンディー

 自分でも派手だなーと思うような盛大な溜息をひとつ。
 吐いた所で事態が変わるわけじゃないけど、吐かずにはいられないというかなんつーか。
 寮へ帰る道すがらにある大木の枝の上で、もう一度溜息を吐く。

 浮ついた教室の空気に耐え切れなくなって、午後からの授業をサボってずっとここにいるわけなんだけれども。
 放課後になった今も、何故かここから動く気にならなかった。
 どうせ部屋に帰っても結果としては同じだろうし。
 もうここまで来ると、今更自分から言うのはお間抜け感が否めない。

 まぁね、最初からわかってましたとも。
 そこまで大きな期待もしてな……くはないですけれども。
 でも、少しはもしかしたら、なんて思ってたのは認める。
 今朝もちょっと期待してたから。
 登校途中も、学校に着いてからも、お昼休みも、もしかしたらなんて思ってた。
 淡い期待があったから何も言わずに我慢もした。
 すんごく言いたかったけど。

 ……その結果が、今なワケで。

「……はぁっ」

 もう何回吐いたかわからない溜息。

 どーしてこう世間の流れに疎いのか。
 周りの出来事に関心なさ過ぎなのはやっぱり問題だと思う。
 ま、あたしなんかが言った所でそれが改善されるわけもないし。
 それでちゃんと改善されてるなら、もっとあたしに優しいと思うんだあやつは。
 ホントに、自分が興味ある事しか見てないというかなんつーか。

 ……ちょっと待て。

 その理屈でいくなら、綾那にとってはあたしが喜ぶかもしれないイベントは興味の対象外ってコトか?
 それって、つまり毎回期待するだけ無駄ってコト?

「……はぁぁあああっ…………」

 本日最大級の溜息。
 もう既にわかっていた事でも、改めて確認してしまうとやる気がなくなる。

 ……何だか、部屋に帰るのも億劫になって来た。
 いっそ今晩はここで過ごしてやろうか。
 あたしがいつ部屋に戻ろうと綾那は無関心ですし?
 一晩空けた所で文句言われるワケでもないですし?
 どーせ綾那にとってはあたしなんてそんくらいにしか思ってもらえてないんだろうし?

「……あーあ……はぁぁっ……」

 一体今日だけでどれくらいの幸せを逃がしてしまったんだろう。
 ……って、んな事、今はどーでもいいってーの。

「順」
「ぅわわっ?!」

 急に声を掛けられて思わず声を上げてしまった。
 危なー……落ちるトコだったよ。
 声のした方へ振り向くと、少しむっつりとした綾那がいた。

「次から授業サボるなら日を選べ、バカ」
「え……?」
「同部屋だからって理由でお前の替わりに日直の仕事させられた。大っっっ変迷惑だ」
「……あ」

 そうだった。
 今日あたし日直だったんだっけ。

「あー、うん、ゴメン」
「悪いと思ってるなら、降りて来い」
「どーせ殴る気でしょ」
「当たり前だな。拳ひとつでチャラになるなら安いもんだろう」

 ……こやつめ、殴る気まんまんだな。
 意地でも降りてやるもんか。

 そこでふと、綾那が鞄を持っていない事に気付いた。

「あれ、鞄は?」
「部屋に置いて来た。探してたんだお前を」
「……何で?」
「いいから降りて来い。これじゃまともに話も出来ん」

 むっとした表情が更に険しくなる。
 嬉しい時とかはあんま表情に出さないクセに、どーして不機嫌な事があるとすぐに顔に出すかなぁ。
 周りが怖いって言ってる原因のひとつがそれだって事、わかってんのかねホント。

 綾那にわからない様に小さく息を吐いて、言われるままに木から下へと降りる。
 いつでも飛んでくる拳を避けれる様に少しの緊張感を持って。

「……んで、あたしを探してたって言ってたけど、お急ぎの用事でも?」
「急いではないけど…………まぁ、早い方がいいんじゃないかと思って」
「ん、何?」

 あたしを探してまでする話って、綾那にあったっけ?
 日直うんぬんの事はさっき聞いたし。
 ゲーム関係の事言われてもそこまで詳しいわけじゃないし。
 他に頼んでた事とかって何もないし。
 まさか、夕歩……?

「もしかして夕歩に何かあった?」
「いや、違う。さっきも会ったけど、さして問題はなさそうだった」
「……そっか。じゃあ、何?」

 綾那がスカートのポケットを探って何か小さな物を取り出した。

「さて。ここにひとつの飴玉がある」

 綾那の手にあるのは、大入と描かれた袋に包装されたマスカットキャンディーだった。

「って、それ!! 隠してた最後の一個じゃん!!」
「そうだ。お前が大事にしていたヤツだな。お前の好物の」
「ちょっ、ちょっとちょっと、何で綾那がそれの隠し場所知ってんの? それ、あたしの下着入れん中あったやつだよ?」
「それよりもあんな場所に食べ物を隠すお前の根性がわからんがな」

 ぅぐ……大事なものは他人が手を入れにくい場所に隠すのがいいと思っただけなんだけど……。

「それ、どーする気? 本当に最後の一個なんだけど。もうそれが買えるお店ないから買えないんだけど!」

 あたしが好きな味で作ってあるのは、最後の一個残ってるあれだけなのだ。
 製造してる会社がどっか違う会社に吸収されちゃって、悲しいかな微妙に味が変わってしまっていて。
 だから大切に大切に今までひとつづつ食べてきて、あれが最後のひとつになってしまったわけで。
 何としてでも、あれだけは死守したい。

「そうだな。こうするか」

 軽く言った後、あろう事かキャンディーの包装を破って綾那がパクリと頬張ってしまった。

「あぁーーーーーーーーっ!!」
「……うわ、甘ったる」
「ばっ……バカーーーーーーーーッ!! 言ったじゃん最後の一個だってーーーーーーーー!!」
「大げさだな、飴のひとつくらいで」
「あったり前でしょーがっ!! 人の話聞いてたのかアンターーーーーー!!」

 あたしの絶叫も聞く耳持たないのか、人の前でもごもごと美味しそうに転がす綾那。
 あぁ……もう……今日はなんて厄日なんだろう……。
 そう言えば何か前にも似た様な事あったなぁ。
 あの写真集、ホントに大事にしてた物だったのに。
 本気の本気で生きる目的を見失いそうだよ…………とほほ……。

「……そんなにいるのか、これ」
「いったよ! すんごい楽しみにしてたんだから!」
「そうか。なら、くれてやる」

 へっ?と疑問を口にする前に急に綾那に距離を縮められて、キスされた。
 突然の事に思考も身体もついて行かない。
 開かれていた綾那の口内から伸びてきた舌先があたしの唇を一舐めして、不意に唇が離れた。

「……お前な」
「なっ……何?」
「もう少し口開け」
「……ぁ、……ぅ、うん……」

 よくわからないままに、とりあえず生返事。
 ……ってか、……ん? あれ?
 一呼吸置いて、またキスされた。
 それから今度こそ、口移しで飴を貰う。

「………………」

 顔を離した綾那が、ふいっと後ろを向いた。

「……綾那?」
「それで、返したからな」
「へ? あ、うん。ありがと……?」
「……お前に貰ったバレンタインのチョコの返し、したからな」

 ガリッと自分の中で少し鈍い音がしてハッとなる。
 ……ヤバッ、思わず飴を噛み砕いちゃった……ッ!

 言った当の本人は気まずいのか、言う事は言ったとばかりにすたすたと寮への道を歩いていた。
 そう言えばよく見ると顔が赤い気がする。

「ちょっと、っ、綾那ってば!」

 遠ざかる背中に声を掛けたけど、無視された。

 …………って……ん?
 えっと……つまり?
 今あたしの口の中にあるちっちゃくなってしまったマスカットキャンディーがお返しってコト?
 それとも、それは口実でキスがお返しってコト?

 ……と、言うか。

「覚えてて、くれた?」

 ホントに?
 ……うん、ホントに。

 もう視界から居なくなった綾那の姿を思い出して、不意に笑みが零れた。

 嬉しかった。
 大事にしてた物が返って来たって事もあったけど。
 それ以上に、ちゃんと綾那に気にしててもらえたって事が、嬉しかった。
 あたし以外の誰かから言われて気付いたのだとしても、思い出してくれる程に気に留めてくれてたって事が、ホントに嬉しかった。

 踵を返して、あたしも綾那を追って寮へ走り出した。

 口に広がる甘ったるい飴の甘さよりも、ずっと甘く。
 あたしの胸の中で広がったこの想いを伝えるために。

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