Retrovirus
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紅薔薇さんち

 あんなに大切な物を置き忘れてるなんて、どうしてバス停に行くまで気付かなかったんだろう。
 昇降口で革靴から上履きに履き替えて、薄暗くなった廊下を小走りで進んだ。
 まだ誰かいるかな……いれば、助かるんだけど。
 校舎を抜けて中庭に走り出ると一目散に灯りの点いている薔薇の館を目指した。
 中へ入り階段を上って勢い良くドアを開ける。
 と、私は開いたのと同じように勢い良くそのドアを閉じた。

 今の、何?

 ドアノブを掴んだまま、一瞬だけ見えた光景をずっと前の光景と合わせて頭の中で再現してみた。

 いつもと同じ、私がさっきまでいた薔薇の館の2階。
 よし。

 黄薔薇さまは用事があるからと、紅茶の缶だけ置いてさっさとお帰りになったし。
 令さまと由乃さんは恒例の両家揃ってのお食事に出掛けるからと早々に帰ったし。
 志摩子さんは委員会で遅くなるから今日は来れないって言ってたし。
 お姉さまもこれからご家族で出掛けるご用事があるとかで、それなら私もついでに一緒に帰ろうとついていったのはいいのだけど、定期も一緒に入ってる財布を忘れて取りに来たわけで。
 うん、これもよし。

 で、紅薔薇さまと白薔薇さまのお二人が残っているから、丁度いいなぁと思って。
 それで、薔薇の館に舞い戻ってきてこのドアを開けたら、綺麗に片付いたテーブルの上に紅薔薇さまがほぼ半裸状態で白薔薇さまに押し倒されていた、と。
 うん、完璧。

 …………………………。

 って、えぇーーーーーーーーーーーーーーー!!!?
 お、おおおお、押し倒されてた?! あの、紅薔薇さまが?!
 さっき見た光景を必死に思い返して、私は再度驚いた。
 そりゃ、白薔薇さまと紅薔薇さまは親友で、色々と仲が良い事は私でもわかってるけど。
 たま~に白薔薇さまがふざけてみんなの前で紅薔薇さまに抱きついたりして怒られてるのを見てるけど。
 でもさ、それらとは違うじゃない、さっきのって。
 だ、だってっ、その……全然ふざけてるようには見えなかったというか。
 見様によっては紅薔薇さまが白薔薇さまを、その、誘っていたというか。
 ドアノブを握り締めたまま私は半ばパニックに陥っていた。
「入ってもいいよ~」
 突然、笑いを含んだ白薔薇さまの声がドアの向こうから聞こえた。
 は、入ってもいいって、そんな、一体どんな顔してそちらへ行けと?
 とてもじゃないけど、ドアを開いてにこやかに「ごきげんよう」なんて言えそうにないよー!
 ドアの前でカッチンコッチンに固まっている私に気付いたのか、私が握っている大きなドアの反対側の扉が開いて白薔薇さまが顔を覗かせた。
「何やってんの、入っていいよって聞こえなかった?」
 あっけらかんとそういうと、白薔薇さまは私の手を掴んで部屋の中に引きずり込んだ。
「あ、あのっ……!」
「これ取りに来たんでしょ?」
 どこから取り出したのか、白薔薇さまはチャックのついた二つ折りの赤い財布を私に手渡してくれた。
「あ、どうもありがとうございます」
 お礼を言って、何もないと思うけど、一応中身を確認する。
 うん、定期も無事にちゃんとある。
 パタンと閉じてコートのポケットへ押し込んだ。
「でも、いつもタイミングいいね、祐巳ちゃん。もしかして今回も狙ってた?」
「なっ?!」
 ガシャン!
 私が言葉を詰まらせるのと、流し台から聞こえた大きな物音が重なった。
 物音に驚いてそちらを向くと、慌ててさっき流し台の中にぶちまけたお茶っ葉を掻き集めている紅薔薇さまの姿があった。
 今度はちゃんと綺麗にタイも締めて、いつも見る紅薔薇さまのお姿だけど。
 こんなにオロオロとしている紅薔薇さまは初めて見るかもしれない。
 私と目を合わせないようにしながらせかせかとお茶っ葉を集めている紅薔薇さまから視線を反らす。
 ……何だか、さっきの事があるからちゃんと正視出来ない。
 というか、今はここに長居したくないっていうのが本音だったり。
「あ、あのっ、それでは私失礼しますっ!」
 一番出入り口に近い椅子へ優雅に腰掛けていた白薔薇さまに頭を下げてくるりと方向転換した所で、ぎゅっと後ろから羽交い締めにされた。
「ぎゃうっ!!」
「ひとーつ注意を言い渡す。さっきのアレね、無理に忘れろとは言わない。私はどっちでもいいし。でも他の人、特に祥子には黙っててあげて。紅薔薇さまのイメージのためにね」
「聖、あなたね……っ!!」
 耳打ちしてるはずなのに妙に声の大きい白薔薇さまに、紅薔薇さまが突っ込んできた。
 うわー、白薔薇さまの事を名前で呼んでるの、なんか意味深。
「なにかしら、紅薔薇さま。一番気にしてる事なんでしょう?」
 私の首に腕を回したままニヤニヤと笑って紅薔薇さまを見ている。
 紅薔薇さまは顔を赤くして何か言いたそうに白薔薇さまを睨んでいた。
 ……すごい。
 いつもは紅薔薇さまが白薔薇さまを手玉に取ってるって感じなのに。
 今日は、と言うか、今は立場が逆転してるみたい。
 紅薔薇さまは視線を反らして一度小さく溜息をつくと、そんな事に素直に感心していた私に向き直った。
「祐巳ちゃん。あのね……」
「い、言いませんよ私! 決して! お姉さまにも!! 絶対!!」
 ブンブンと両手を車のワイパーみたいに激しく振って一生懸命さを伝える。
「……まぁ、出来れば、あの子には言わないで欲しいわ」
 苦笑を浮かべた困った顔で、力なくそう言った。
「は、はいっ!!」
 コクコクコクと激しく首を縦に振る。
 お姉さまのお姉さまである紅薔薇さま直々にそう言われたら、何が何でも隠し通さないといけないじゃないですか。
 そうじゃなくても、とてもおいそれと人には言えない事なのに。
「ほーんと、紅薔薇さんちは楽しいねぇ」
 いまだ背後霊と化している白薔薇さまが可笑しそうに笑う。
 そもそも元凶はあなたじゃないんですか、白薔薇さま。
 とは、とても怖くて口に出せない。
 言ったら最後、「紅薔薇さんち」である私まで被害を受けそうな雰囲気だもん。
「……あの、白薔薇さま、そろそろ離れていただきたいんですけど」
 早く戻らないとお姉さまを校門に待たせたままだし。
「いいじゃない。一瞬でも蓉子のハダカ見れたんだから、少しぐらいサービスしてよ」
「なっ?!」
 確かに、一瞬だけ見ちゃいましたけど。
 体勢が体勢だったからすっごく艶やかでしたけど。
 正直言って、すごく絵になってて、こっそりドア開ければ良かったかな~とかちょっと後悔しそうになってますけど。
 ………………。
 でも、白薔薇さまも言ってる事がめちゃくちゃだ。
 引き合いに出された紅薔薇さまは一瞬きょとんとした後、また顔を赤くして白薔薇さまを睨みつけた。
「あのね聖、それとこれとは……!!」
 これ以上ないぐらい大きな声で紅薔薇さまが怒鳴った。
「ごきげんよう、みなさま」
 それに一呼吸遅れて聞き慣れた声と共に私の後ろのドアが開いた。
 掴みかからん勢いだった紅薔薇さまがピタリとその動きを止めてそっぽを向いた。
「あれ、祥子。帰ったんじゃなかったの?」
「祐巳を迎えに来ました。白薔薇さま、そろそろ祐巳から離れて頂きたいのですけど」
 つかつかと厳しい顔で私へと歩み寄る。
「おぉ、コワ」
 それから逃れるように笑いながら白薔薇さまはえらく素直に私から離れた。
「忘れ物は見つかって?」
「あ、は、はい」
「そう」
 私の少しだけ乱れたタイ、もとい、マフラーを直すと、お姉さまは二人の薔薇さまに向き直った。
「それでは、失礼いたします」
 軽く会釈すると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
「あ、お姉さま! ……そ、それでは!」
「はいはい~、また明日~」
 ひらひらとにこやかな笑顔で手を振っている白薔薇さま。
 その笑顔が、何かを企んでいる悪意のある笑顔に見えて。
 まさか、私達がいなくなってから、またここで続きとかするんだろうか。
 思わず白薔薇さまの斜め後ろにいる紅薔薇さまを見る。
 私の思った事がわかったのか、紅薔薇さまがばつの悪そうな、愛想笑いに似た笑顔を浮かべていた。
 私はそのままペコリと頭を下げると、今度こそ薔薇の館を後にした。
 とんだ忘れ物を取りに行ってしまったと思いながら。

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