Retrovirus
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そのさきのヒカリ

 ドアノブを掴んでは離し溜息をつく。
 そんな事をもう数回繰り返していた。
 無駄な事だってわかってる。
 けれど、どうしてもあと一歩が踏み出せないでいた。
 意を決して再度ドアノブを掴む。
 けれど、また手を離してしまった。
 もし、中にいるのが一人だけだったら。
 その時私は平静を保っていられるだろうか。
 もしかしたら何も言えなくなるかもしれない。
 笑いかけられたら居たたまれなくなるかもしれない。
 どうすればいいかわからなかった。
 逃げ回るなんて出来ない事はわかっているけれど。
 今は、自分を殺してまであの場にいる事なんて出来なかった。
「……はぁ」
 大きく溜息をつく。
「何やってるの?」
「っ?!」
 突然後ろから声を掛けられて、声を失った。
 咄嗟に後ろを振り返る。
 そこにいたのは見慣れたもう一人の友人だった。
「……何だ、江利子。もう、驚かさないでよ」
 ほっ、と安堵の溜息をつく。
「入り口に突っ立って何してるの? 早く入らない?寒い」
 ドアの前に陣取っている私のすぐ後ろに立って、ドアを開けるように促す江利子。
 それに曖昧に返事を返して、私はもう一度ドアノブを掴んだ。
「………………」
 ドアを開けれない。
 踏み込んではいけない気がしていた。
 これ以上、土足で踏み散らかす事はしてはいけない、と。
「あなたから入る気がないなら、私に付き合って」
「えっ? あ、ちょ、ちょっと!」
 私のぐずっている態度に業を煮やしたのか、江利子は私の腕を掴むと勢い良く目の前のドアを開けた。

 温まり始めた部屋の空気を大きく吸って、吐き出す。
 薔薇の館の2階。
 会議室兼サロンには、私と江利子の2人しかいない。
 その事が少しだけ圧し掛かっていた緊張を解きほぐしてくれた。
 僅かに響く陶器の擦れる高い音だけが耳を抜けて行く。
 両手で持っていたカップをゆっくりと口へ運ぶ。
 アールグレイの良い香りが鼻腔を抜けて、身体全体に染み渡っていく感覚。
 先程まで鬱屈していた気持ちが軽くなっていく感じがした。
「で、何を渋っていたの? あなたらしくもない」
 一息ついて落ち着いたのか、軽い口調でそう聞いてきた。
「って、あぁ、聞くだけ野暮ね」
 私が答えるよりも先に、何か合点がいったように呟く。
「野暮って」
「でもそれって、あなたが気にしても仕方のない事だとは思わない?」
「………………」
 江利子には、私が何に対してこうも臆病になっているのかがわかっているようだった。

 聖が髪を切った。
 それだけの事。
 けれど、私にはそれが辛かった。
 聖と栞さんの仲を裂いたのは色々な事情が重なった結果だと思う。
 でもある意味、私が二人の仲を裂いてしまったように思えて……。
 どうしていいかわからなかった。

「……わかっているわ、そんな事」
 手の中にあるカップの中で揺らめく紅茶を見つめながら、溜息と共に言葉を吐き出す。
 本当はわかっている。
 わからないなんて、嘘だ。
「……なんか、妬けるわね」
「え?」
 ポツリと呟かれた言葉に顔を上げる。
 目が合った。
 けれどそれは一瞬で、江利子は持っていたカップの中身を一気に煽った。
「あなたにそこまで想われている聖が」
「私は……友人として、心配しているだけ。あなたにとっても、聖は大切な友人でしょ?」
「もちろん」
 テーブルに置かれているソーサーごとカップを横へとずらして、江利子が頬杖をつく。
「あなたもね」
 ちらりと横目で私を見た後、つまらなそうに窓の外へと視線を向けた。
「そんなに自分を犠牲にしなくてもいいと思う」
 ドキリとした。
 胸の奥の核心に何の前触れもなく触れられて、息が詰まる。
「……犠牲になんて」
 していない、とは言えなかった。
 聖を見る度に多大な罪悪感に押し潰されそうになる。
 私がもっと動けていたら、なんて思い込んでしまっている。
 自己犠牲、と江利子は言うけれど。
 これは完全に行き過ぎた自己満足でしかない。
 それをわかっていながら、私は、尚も彼女へと手を差し伸べようとしていた。
 彼女が求めているのは救いじゃないとしても。
 手を差し伸べて、傷ついた心に触れたいと、思ってしまったから。
「こと聖の事になると、途端に周りが見えなくなるわね、あなた」
 柔らかい声が聞こえて、カップへ落としていた視線を上げる。
「いつもの完璧な優等生はどこへ行くのかしら」
「好きで優等生を演じてる訳じゃないわ」
「知ってる」
 窓の外を見ていた目が、ゆっくりと、私を射抜いた。
「だから、心配よ。聖よりも、今の蓉子の方が目が離せない。私、一度に二人も構いたくないわよ?」
 少しの皮肉と笑みを浮かべて見せる江利子。
「私は、大丈夫」
「ふーん。聖に会うのも怖いくせに?」
「あれは……!」
「違うとでも言いたい? ったく。いい加減目を覚ましたらどう?」
 いつもの無感情な目と素っ気無い言葉に、私は江利子を睨み付けていた。
 目を覚ませ?
 一体何に?
 この現実から目を反らせと言うの?
 ずっとそれを見ていなかったあなたが、それを口にしていいとでも?
――――聖に何も言えず、何も言わず、ただそこにいただけの人に……!」
 そこまで声を荒げた後で、はっと我に返った。
 当の江利子は突然の事にきょとんと私を見ている。
 そうして、クスッと僅かに口角を吊り上げた。
「言えば? それ、本心でしょ?」
「ッ……!」
 うっすらと浮かんでいる微笑みが、小馬鹿にしたような笑みに私には見えた。
「今ここであなたに嫌われても痛くも痒くもないわ」
 斜に構えたまま私を見つめている江利子の表情が次第に真顔へと変わって行く。
 その顔が、数日前の自分に重なって見えて、目を反らした。
 髪を切った聖に向かって、今の江利子と似通った科白を投げつけた。
 投げつけて、赦しを扱いた。
 赦されるはずもないのに。
 けれど、聖は赦されるべきなのは自分だと笑った。
 痛々しい傷ついた笑顔も。
 平然とあるその姿も。
 私を見る柔らかな視線も。
 目に見える全てが、辛かった。
 それでも。
 それでも、手に残った物は、それだけで私を救ってくれたはずだから。
「そんなに自分を追い込んで、楽しい?」
「そんなわけないでしょ」
 冷ややかな言葉に素っ気無く返事を返す。
「自分が追い込まれているのがわかってるなら、どうして自分から一歩でも引いて状況を見極めようと思わないわけ?」
 一瞬、何を言われているのか理解出来なかった。
 何も言えず顔を上げた私を、僅かに呆れたような目で見据える江利子。
「もしかして、気付いてなかった? あなたが聖と同じ事しそうになってた事」
――――――
 頭を後ろから鈍器でガツンと殴られたようだった。
 それぐらい、江利子の言葉は私にとって重く胸を突く鋭い一言。
「……そう、見えた?」
 今までの自分の姿を思い出しながら、すぐ横にいる友人に問う。
「えぇ。私でもわかったんだから、聖にもそう見えてたんじゃない?」
「……そう」
 それで、ようやく悟った。
 聖の気持ちを引きずっているのは、自分の方だったと言う事に。
 彼女の心に触れようとして、多分私は違うものに触れてしまった。
 大きな悲しみと、絶望と、僅かな期待。
 あまりにも深く強い感情が私を飲み込んでいたんだと思う。
 けれど、その中で感じたものが確かにあって。
 それは――――まだ、はっきりとカタチにはなっていないけれど。
 真っ直ぐに江利子を見る。
 それまでの厳しい表情はなくて。
 いつも見る面倒くさそうな、気だるい顔が私を見ていた。
「……ごめんなさい」
「何が?」
「色々。さっきも、とても酷い事を言ったわ……」
「別にいいわよ。私も、さっきちょっと実感したから」
「え?」
 私の記憶にはない、見た事のない穏やかな笑顔で江利子が笑っていた。
「……何?」
「あなたが前に言ってた事じゃない」
「私が?」
「友達は損な役回りを引き受けるためにいるようなものよ」
 私の口調を真似して言った後、
「でしょ?」
 先程と同じ笑顔を向けてくれた。
「……えぇ」
 江利子の言葉に頷いたら久し振りに自然と笑みが零れた。
 と、部屋のドアが何の前触れもなく開かれる。
 現れたのは、良く知っている友人だった。
「……二人して何笑ってんの?」
 部屋に入ると、日の当たる場所を選んで椅子に腰掛ける聖。
 その少しだけ訝しげな顔を横目で見て、江利子が肩を竦めた。
「別に。蓉子は偉いわねって話」
 そう言って、江利子が私の前髪をくしゃくしゃと撫でた。
 思いがけない行動に思わず椅子を立ちあがる。
「ちょっと、何するのよっ」
「何って、ご褒美だけど」
 さらりと言ってのけて、江利子は大きく伸びをした。
「蓉子、私アールグレイのストレート」
「は?」
「さっきの報酬。安いものでしょ? ね、聖は?」
「ブラック」
 話を振られて、私と江利子を一瞥すると、さして興味なさそうにそれだけを言って聖は窓の外に目を向けた。
 不機嫌と言うわけではなく、それが彼女の素なんだとわかっていたから別に気にならない。
「だって」
「……わかったわ」
 にやついている江利子に向かってわざと仰々しく溜息をついて見せて、それまで使っていたカップを手に流しへ向かった。
 洗ったカップにいつも聖が使っているものを足して、注文通りに淹れていく。
 少し考えて、私も聖と同じくスティック半分の砂糖を入れたコーヒーにした。
 もう一歩、彼女へと歩み寄ってみようと思って。
「はい」
 手前にいた江利子にまずお茶を出す。
「えぇ、ありがとう。んー、いい香り」
 嬉しそうにカップを手に取り、一口、口にする。
 続いて、
「聖」
 呼んで、彼女の前にカップを差し出した。
「ありがと、蓉子」
 外していた視線を私へ戻すと、少しの笑みを見せてくれる。
 そのちょっとした事が今は嬉しく感じた。

 ――――大丈夫。
 迷いは、もうない。

「ついでにもう三つ、追加いい?」
「三つ?」
「お姉さま方がいらしたわ」
 クイと窓の外を親指で指す。
 つられて窓へ近づいて見ると、薔薇さま方が談笑しながら薔薇の館に入ろうとしていた。
「えぇ、喜んで」
 笑みでそう答えて踵を返す。
 その途中で目が合った江利子が、クスリと満足そうに小さく笑った。

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