Retrovirus
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朧月

 緩やかな時間がしばらく過ぎて。
 私はゆっくりと目を開けた。
 うすぼんやりと天井の板の目が浮かんできて、やがてはっきりと部屋が見えてくる。
 静かな時間。
 僅かに聞こえてくる安らかな寝息が、ひとつ、ふたつ。
 それを確認して、私はゆっくりと身体を起こした。
 隣に寝ている二人の下級生を見る。
 眠っている時まで祥子に寄りそうようにしている祐巳ちゃんが可笑しくて、思わず口元が綻んだ。
 ひとしきりそれを見つめた後、静かに布団から抜け出して音を立てないように部屋を抜け出した。
 月が綺麗だった。
 すぐ前の縁側に座り込んで、ぼけーっと月を見上げていた。
 程よい静寂。
 ゆったりとした空気。
 ぽっかりと浮かんだ眩しい月。
 けれどそれだけなら、良かった。
 一体何のつもりか知らないが……。
「何だ、やっぱりいるのか?」
「結構」
 何度目かの差し出されそうになったパックのオレンジジュースを速攻で断って、再度月を見上げる。
 何でこいつはここに居座ってるんだ?
 と、いうか。
 いつまでここにいるつもりだ?
 手に持っていたパックのグレープフルーツのジュースを啜りながら、当たり前のように隣の柱に凭れて庭を眺めている男を横目で睨む。
 視線に気付いたのか、奴は少しの笑みを湛えてゆっくりとこちらへと顔を向けた。
「そんなに煙たがらないでもいいじゃないか」
「邪魔なんだから仕方ないだろ?」
「可愛げの欠片もないな、君は」
「可愛くなくて結構。そもそもあんたに可愛いだなんて思われたくないね」
 売り言葉に買い言葉で返して、私はその場を立ち上がった。
「おやすみかい?」
 言葉を無視して、置かれていたサンダルを引っ掛けて中庭へと降りた。
「……やれやれ」
 呆れた呟きを背中で聞きながら、そばの池の手前で足を止める。
 月明かりが反射して水面がキラキラと輝いて見えた。
 ふと、すぐ隣に気配を感じて顔を向ける。
「この池、来月には取り壊してここに離れを作るそうだ。勿体ないとは思わないか?」
「……金持ちの考える事はわからんよ」
 風流な雰囲気を目の前にして正直な感想を口にする。
 いい加減反論するのにも疲れてきた。
 鼻に付くのは確かだけど、別に突っかかって来ているわけでもなし。
 とっととお帰り願いたいのも正直な気持ちだが。
 そんな思いが叶ったのか、隣の気配が踵を返した。
「じゃ、僕はこれで失礼するよ。置いておくから、気が変わったら飲んでくれ」
 ちらりと私にパックを見せてそのまま屋敷へと歩いて行った。
「一応、礼を言っておくよ」
 背中越しに、そう声を掛けた。
 何故か呼び止めなければいけないと思ったから。
 少しの間を置いて足音が止まる。
「オレンジの?」
 不思議そうな声が背中に掛かる。
 さすがにいきなりは通じなかったらしい。
「今日の事。思う事は一緒だったらしいからな」
 どんな形であれ、祥子を思い遣る気持ちには嘘はないみたいだし。
「お互い様だよ」
「それ、貰おうか」
 身体半分で振り返ると、間髪入れずに離れた場所にいた柏木がパックを投げて寄越した。
 抜群のコントロールで構えた私の手の平に収まる。
「おやすみ」
 笑みを含んだ声に小石を踏む足音が重なって、やがて襖の閉まる音を最後に静寂に包まれた。
 少し前と同じようなゆったりとした時間が流れる。
 ふと、受け取ったパックのオレンジジュースに目を落とした。
 一体何を思って寄越せなんて言ってしまったんだろう。
 手の中のパックを上に投げて再度キャッチする。
「……ま、いいか」
 呟いて、付属のストローをねじ込んだ。

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