Retrovirus
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隠しごと、ひとつ

 話があるから残ってくれと言われて、私は呼び出されたミルクホールへと向かっていた。
 もちろん、他言無用と言われたからには、誘われた事は私しか知らないわけで。
 静かな廊下を進みながら、まるで人気がなくなったのを見計らったかのような時間だなと思いながらミルクホールの入口を潜った。
 ぐるっと辺りを見回す。
 まだ来ていないのか、それらしい人影は見当たらなかった。
 この場にいるのは私だけみたいだし、人が入って来たらすぐにわかるだろう。
 その辺の椅子を引っ張り出して腰掛ける。

 普段の薔薇の館でのおしゃべりでは、それなりに共通な話題が飛び交うから話す事はあるけれど。
 こんな風に、話があるからと移動教室ですれ違った時に呼び止められたのは初めてだった。
 一体どんな話を聞かされるのか、予想出来なくて少し緊張していた。

「もう来てたんだ」

 待たせちゃったね、と音も無く現れたその人は私の対面の椅子に腰掛けながら、一方では何か小さな缶を差し出してきた。
 受け取ったそれは温かいアールグレイのストレートティで、缶の下の方に小さく微糖と書かれていた。

「あ、おごりだから気にしないよーに」

 代金を払わないと、と思った矢先、先に釘を刺される。

「ありがとうございます」
「いえいえ」

 白薔薇さまの手元にある小さな黒い缶が小気味良い音を立てて開く。
 それをぐっと大きく呷って、テーブルに置いた。

「それで、お話とは何でしょうか?」

 私も同じように缶を開けてひとくち頂いてから、ずっと気になっていた事を口にする。
 気のせいか、じっと顔を見られているような気がした。

「ま、そんな大した事じゃないんだけど。ちょっと教えておいた方がいいかなと思って」

 目に掛かりそうになっていた髪をかきあげて、

「けどその前に、令に聞きたい事があるの」

 ふっ、と口元にうっすらと笑みを浮かべた。

 私に、聞きたい事?
 頭をフル稼働させて何か思い当たる節がないか考える。
 けれど、該当する事は何も思いつかなかった。

「私にわかる事でしたら、お答え出来ると思いますが」
「大丈夫大丈夫。十分わかってるはずだから」
「……はあ」

 何の事を差して言っているのかが推し量れない。
 笑みを浮かべて私を見る白薔薇さまを見返して、もうひとくち缶に口をつける。

「単刀直入に聞くけど。江利子はどうだった?」
「お姉さま、ですか?」

 一体どこが単刀直入だと言うのだろう?
 お姉さまがどうとか……って…………。

「そ。君のお姉さまとしちゃった感想はどう?って聞いたんだけど」

 それに思い至ったのと、掛けられた言葉が示す事がぴったりと重なる。

 ――――どうして、それを……知っているのだろう?

「思ってた通り。素直だね~、令」

 半分も残っていないであろうコーヒーの残りを全部呷って、誰もいない事をいい事に少し遠くにある後ろの缶専用の籠へと投げ入れた。
 缶は何の違和感もなく絶妙のコントロールで籠の中へと吸い込まれて、カランと高い音を上げる。
 その音で、ハッと我に返った。

「…………どうして、その事を……?」
「わかり易い目印、付いてるよ」

 目印、と言われて、口元を手で隠した。
 他にも色々と思い当たる節がある。
 背中のカラーに残った掻き毟ったような繊維の跡や。
 意識すればすぐにわかりそうな微かに残った香りや。
 口元を隠したのも、もしかしたら拭い忘れている不自然に付いた薄いピンクのリップの跡が残っているかもしれないからで。
 目に見えるものは全て隠したつもりだったのに。

 そんな反応をした私を可笑しそうに見つめながら、白薔薇さまは肘を突いた手で拳を握って、その上に顎を置いた。

「大丈夫大丈夫。知らない人が見てもそうだとわからないから」
「……そう、ですか」
「良かったじゃない。今日由乃ちゃんが休みで」

 答えずに、白薔薇さまから目を逸らす。
 それは言わないで欲しかった。
 学校に居たら居たで、同じような気持ちになっていたかもしれないけれど。
 あの人だって、きっとそれを見越していたに違いない。
 私を崖のギリギリにまで追いやって、そこからどんな脱出劇を繰り広げるか高見の見物する。
 足掻けば足掻くほど仕掛けられた罠に嵌って行く私を見て面白がるのが、あの人ではないか。

「ははははは、本当に素直だ」

 本当に可笑しそうに声を上げて何も言えないでいる私を笑い飛ばした。

「令、ちょっと手離してこっち向いて」

 声が近い事に気付いて顔を向けると、テーブル越しに身を乗り出した白薔薇さまに無遠慮に指先で顎を持ち上げられる。
 そのまま強引に顔を左に向けられて耳の後ろの髪をすくわれた。

「ちょっ……!」
「何もしないって。お、やっぱりあった」
「何が、ですか?」

 それはね~、と含みを持たせた言葉を一旦切って、白薔薇さまは今晒し出されている耳の後ろを指で軽くなぞった。
 冷たい感触に背筋がゾクッとする。

「あいつ、変な癖があってね。今のトコに残すのよ。引っ掻き傷みたいな痕を」

 言いながらさっきまで座っていた椅子に戻って、再度頬杖を突いた。
 そういえば、と。
 頭を掻き抱かれた時に強く引っ張られたような気がした事を思い出す。

「つけた事をその本人に言わないのは、単なるあいつの自己主張だから。これは私のモノよ、って言う印なのよ、それ」

 途中の口調を真似た声は、含んだ笑みも、斜に構えた姿勢も、あの人を彷彿とさせて。

「でも、白薔薇さまはどうしてその事を?」

 飄々と話す顔を見ながら、ふと思った疑問を口に出す。
 仮にそれを見つけられても、何処かで引っ掛けたか擦ったかぐらいの認識で終わるものだと思うのに。

「親友、だからね」

 苦笑に近い笑みを浮かべ目を細めると、そう答えた。
 その場にそぐわない単語で、けれどその言葉が一番しっくりと当てはまるような。
 二人の間に何があるのかは漠然として見えないけれど。

 これで話は終わりと言った表情で、白薔薇さまが席を立った。

「でも、その印を付けられるというのは、ある意味幸せ者かもしれない」

 こちらに背を向けたまま、白薔薇さまはポツリと呟いた。

「……幸せ者、とは?」

 言葉の真意を聞きたくて、反芻した言葉を投げ掛ける。
 少しの間を置いて、おどけたように肩を竦めると止めていた足を踏み出した。

「あ、白薔薇さま!」
「言葉の代わりなのかも。I Love You、ってね」

 一度だけ後ろ手で手を振って、そのままミルクホールから姿を消した。
 一人にされて、ずっと握ったままになっていた缶の中味を飲み干して私も席を立つ。
 すぐ側の籠に缶を捨て、ふと右手に違和感を覚えて手のひらを見た。
 一見何の変哲もないように見えて。
 けれど、私は直ぐに口元を拳で拭った。
 擦った後の手の甲にうっすらとついたリップクリームを見つめて。

 幸せ者なのはあなたです、と。
 心の中で呟いた。

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