Retrovirus
MAINLOG

Since 2001.02.16 Japanese versiton Only.

やさしいひと

「それでね……」
 嬉しそうに話す姉の声をバックに明日の支度を整える。
「だから、明日がすごく楽しみで」
「その喜びを俺にも、って?」
 鞄の中を整理して机の足元に立て掛けると、椅子ごとベッドに腰掛けている祐巳に向き直る。
「お前の喜びはよーっくわかった。わかったから寝かせてくれ。明日朝早いんだ」
「ん? 明日学校行くの? お休みなのに?」
「明日中に片付けなきゃいけない仕事が残ってるんだ。不本意な事に」
 肩を竦めて見せると、姉はうんうんと意味ありげに頷いた。
「すごくわかる。めまぐるしい人生送ってるね、弟」
「何言ってんだ、そっちだって同じだろうが」
 笑い飛ばすと、「あ、バレた?」とおどけて笑った。
 そしてピョンと立ち上げる。
「それじゃ、そろそろ退散しまーす」
「祐巳」
 機嫌良く部屋を出て行こうとする姉を呼び止めた。
「なーに?」
「明日、楽しんで来いよ」
 一瞬きょとんと俺を見た祐巳は、
「ありがと。祐麒も頑張って」
 柔らかな笑顔と「おやすみ」を残して部屋を出て行った。
 一人にされて、大きく溜息をつく。
 追い出してしまったのは、別に眠いからなんかじゃない。
 これ以上祐巳の口から他の誰かの話を聞きたくなかったからだ。
 どうも学園祭以来、思うように自分がコントロール出来ないでいる。
 理由は……わかってる、つもりだ。
 脳裏にあの時の再現が甦ってきて、頭を振って振り払った。
 忘れろ、忘れろ、忘れろ!
 その方が全て上手く行く。
 椅子から転がるようにベッドへと潜り込むと、布団を被って目を閉じた。
 忘れろ、忘れろ、忘れろ。
 心の中で呟く度に、嬉しそうに笑う顔や声が甦ってくる。
 俺じゃ、ダメなんだから。
 自分に言い聞かせて、また溜息をつく。
 ダメなんだ、俺じゃ。
 ――――俺は。
 ふと、妙に部屋が明るい事に気付いて被った布団から顔を出してみる。
 部屋を明るく照らす蛍光灯の光に目を細めた。
 ……消すの、忘れてた。
 こんな事にも気付かなかった自分に苦笑を零してベッドから出ると蛍光灯のスイッチをオフにした。
 そして今度こそ眠りに入るためにベッドへと潜る。
 とりあえず、明日のために今は眠ろう。
 ……だからと言って、明日になれば解決するようなものでもないけれど。

「あっれ、祐巳ちゃんが学ラン着て歩いてる」
 M駅の地下に降りようと階段に向かって歩いている途中でそんな声を掛けられた。
 声の方に顔を向けると、待ち合わせでよく使われる小さな広場のベンチにどっかりと腰掛けて俺にひらひらと手を振っている人物がいた。
 祐巳がよく言っていたから名前は知っている。
 白薔薇さま――――本名は……佐藤、聖。
「久々だったから声掛けさせてもらったよ」
 人懐っこい笑顔を浮かべてベンチを立って、立ち止まった俺に向き直った。
 俺もそれに倣って向き直ると、ぺこりと頭を下げた。
「お久し振りです。あの時はお世話になりました」
「学校だったの?」
「はい。生徒会でちょっと」
「それで休日出勤か。大変だね、生徒会長も」
「まぁ、それほ……え?」
「ん?」
 違った?と俺を見る。
 ……どうしてこの人がそんな事知って……あぁ、あいつか。
 小さく笑って、俺は再度軽く頭を下げた。
「いつも姉がお世話になっているみたいで」
「うん、お世話してる。私もお世話してもらってるけど」
 何かを思い出したのか、持っていた鞄を脇に抱えて上着のポケットを探り始める。
 少しして、右のポケットからふたつほど飴の小袋を取り出して俺に差し出した。
「はい。再会を祝して」
「ありがとうございます」
「どうした?」
 貰ったりんご味とグレープフルーツ味の飴の包装を見て、祐巳が好きそうだなと思っていた矢先にそんな声が掛かった。
「……え?」
「いや、何か鬱屈した顔してるから」
 立ち話も何だから、と今まで彼女が座っていたベンチの隣を勧められて、それに従った。
 別に話す事もなかったけれど……成り行きってヤツだ。
「そう見えますか?」
 軽く肩を竦めて笑って見せると、俺の隣に座ったこの人はレモン味の飴を剥きながら、
「福沢姉弟の必殺技は百面相だからね」
 なんて可笑しそうに笑った。
 必殺百面相……どっかの誰かも、確か同じような事を言っていた気がする。
 思い出してしまった誰かの顔を頭の隅に追いやって、俺もグレープフルーツ味の飴を剥いて口に放った。
「ま、祐巳ちゃん程じゃないけど」
 右手で自分の眉間を指差して、
「皺、寄ってるよ」
 返すその手で、無遠慮に俺の眉間を指で突ついた。
 仰け反りそうになりながら突かれた眉間を額ごと手で覆って何か反論しようと口を開いたけれど、いきなりの事に動転してパクパクと動くだけ。
 それを仕出かした本人は口元を手で覆って思い切り笑いを噛み殺していた。
 な……何だこの人……っ!
 まるで柏木みたいじゃないか……っ。
「いや、ごめんごめん。まさかそんな反応されるとは思わなかったから」
 かろうじて吹き出さない程度に笑いを抑えて、口元を押さえていた手をひらひらと俺に振ってみせる。
「いきなりこんな事されたら誰だって驚きます、って」
「いや、つい。祐巳ちゃんも同じ反応したから可笑しくって」
「……はぁ」
 咄嗟に蹴飛ばしてしまった鞄を足元に寄せて、姿勢を正す。
 …………どうして俺、ここで足止め食らってるんだろ。
「とにかく、こわーい顔してたら折角の男前が台無しだ」
 カラカラと笑って俺から目の前の時計塔に目を移した。
 つられて俺も目を向ける。
 時計は、丁度昼の1時を指したところだった。
「……聞かないんですか?」
「何を?」
「悩みがあるのか、とか」
「それ、私が聞く事?」
 思ってもない返答に、時計塔から再度隣人へと視線を戻した。
「話を聞いてあげる事は出来るけど。私じゃ君の力にはなれない。違う?」
 僅かな風にそよいでいる髪を押さえて、その人はそのまま髪をかきあげた。
 言われた言葉とその仕草にドキリとして、俺は慌てて目を逸らした。
 ……確かに、一理ある。
 例え人に話した所でどうにもならないのは事実だから。
 投げ掛けられた問い掛けに答えようと顔を上げてその人を見て、ふと、ずっと奥を走っている人影に目を奪われた。
 乱れる髪とスカートを気にしながら、それでも急いでいるのか走る足を緩めようとはしない。
「…………祐巳」
 口の中で呟くと、それに気付いたのか俺が向けている視線を辿って彼女もそちらへ振り向いた。
「おーいっ、こっちこっち」
 ベンチから立ち上がって祐巳に向かって大きく手を振る。
 …………どうして?
 祥子さんと遊びに行くんじゃなかったのか……?
 すでにうろ覚えになりつつある昨夜の会話を思い出してみる。
 …………昨日話していた事は、この事だったのか……。
「すっ、すみませんっ! 遅くなっちゃいまし……あれ、祐麒?」
 息を切らせながら、ここにいるはずのない俺を見つけて、目を丸くして俺を指差した。
「話相手になってもらってたの。お仕事帰りのトコ捕まえちゃった」
「そうだったんですか。弟がお世話になりました」
 ペコリと祐巳が頭を下げると、
「お世話になったのは私なんだってば」
 笑いながら、彼女は祐巳の頭をグリグリと乱雑に撫でた。
 その何でもない動作も。
 それを甘んじて受けている祐巳も。
 この場の雰囲気も。
 目に見える全てのものが急に面白くないと感じている自分がいた。
 まるで姉妹のようにじゃれあっている二人から顔を逸らして、足元に置いていた鞄を手にベンチを立った。
「……それでは、俺はこれで」
 後ろから祐巳の首に腕を回して羽交い絞めにしていた彼女に、軽い会釈と共にそう声を掛けた。
 返事を待たずその場を立ち去ろうと足早に二人の横を通る。
「あっ、祐麒?」
 視界の端に映る姉の顔と声を見ないようにして通り過ぎた時、
「頑張れ、少年!」
 嬉しそうな、力の入った声が背に掛かった。
 やけに弾んだ声を不思議に思って、体半分で振り向く。
 さっきと同じ、祐巳の首に腕を回した体勢で。
 空いている片方の手で彼女はグッと親指立てて見せた。
「けど、私も簡単には譲らないから」
 そう言い切って、さっきも浮かべていたであろう勝ち気な笑顔を浮かべた。
 一瞬、何を言われたかわからなくて彼女を見る。
 けれど、確かにそれは俺に宛てた言葉だった。
 彼女が譲らないと言った人物は、すぐ後ろの彼女と目の前の俺を不思議そうに見比べて首を傾げた。
 その仕草に、不意に口元に笑みが零れる。
 だから、俺も彼女に向かって親指をグッと立てて見せた。
「俺も、負けない事にします」
 満足そうに頷く彼女に俺も軽く会釈を返して、今度こそ止めていた足を踏み出した。
 ――――俺自身のために。

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