Retrovirus
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雪のひとひら

 ぴょんと跳ねるように一歩を踏み出す。
 その後ろ姿を見て、思わず笑みが零れた。
「あんまりはしゃぎ過ぎないようにね」
 嬉しそうに空を見上げている小さな背中に向かって言っても、返事だけが返って来て全然聞いていないようだ。
「けど、雪なんて久々」
 ひらひらと舞い落ちる白い欠片を手の平で受け止めて、空を見上げた。
 静かな辺りを包むようにしてしんしんと降る雪が、まるでこの場には二人しかいないような錯覚を起こさせる。
 一面銀世界の幻想的な色。
「ほらっ」
 はしゃいだ声に目を向けると、小さな大小の雪の団子を二つくっつけたものを見せられる。
 それにはどこから拾って来たのか、きちんと石で目と口がくっついていた。
「かわいい雪だるまじゃん。祐巳ちゃんそっくり」
「えっ、私に?」
「この目の下がり具合とか、特に」
 左右対称にはめ込んだと思われる目を突いて、笑って見せた。
 彼女は自分の作った雪だるまとにらめっこしながら、違うのにねなんて話し掛けている。
 この何でもない時間が愛しくて。
 どうしてこんなにも満ち足りた気持ちになっているのかが不思議で。
「雪積もってますよ」
 近くのベンチの足元に雪だるまを置いて戻って来た彼女が、小さく笑って私の肩や腕に積もった雪を手で払っていく。
 ぴょこぴょこと動く様をじっと見つめていると、視線に気付いたのかはにかんだ笑みを浮かべた。
「どうかしま……っわ!」
 腕の雪を払っていた手を掴んで引き寄せると、その背を抱き締めた。
 すっぽりと腕の中に収まった彼女が少しだけ身を強張らせる。
 手袋をしていない、赤くなっている手を取って握ってみせて、
「ほら、やっぱり冷たくなってる。結構寒かったんじゃない?」
 返事も待たずに、刺す様に冷たい指先を握り締めた。
「実は、ちょっと」
 えへへと照れた笑いを零す彼女の頭に顎を乗せて、握った手を自分の口元へとやると息を吹きかけた。
 赤くなった指先はそんな些細な事では元に戻る訳もなく。
 もう一度、大きく息を吸い込んで指先へと息を吐く。
 その熱が逃げないうちに指先を擦って、少しでも元の熱が戻るようにと両手を合わせる。
「……ありがとうございます」
 私を見上げた顔に口元だけの笑みを見せると、包み込んだ両手を擦り合わせた。

 この気持ちは何だろう。
 触れている手は冷たいはずなのに、持っていられない程の熱を感じている。
 腕の中で身じろぎされる度に、抑え付けている胸の鼓動が跳ね上がっていく。
 一体、どうしたというんだろう。
 こんなのはいつもの事だと言うのに。

「聖さま」
 少し困ったような笑みを浮かべて、何かを口にしようとしてぐっと言葉を飲み込んだ。
「なーに?」
「あの…………手」
「手?」
 言われて、ハッとなる。
 擦り合わせていた小さな両手は、祈りを捧げるように組まれた私の手のひらに握り潰されていた。
「ごめん、痛かった?」
「いえ、全然。大丈夫」
 するりと私の腕を擦り抜けて、照れたようにはにかんだ彼女がぎゅっと私の腕を抱きついた。
「こうしてると、大丈夫」
 彼女にしてはいつにも増して積極的な態度に、多少の戸惑いを覚える。
 そういえば、雪を見ようと誘って来たのも祐巳ちゃんからだった。
 彼女が慕っていた姉が卒業して、最高学年になって、何故か祐巳ちゃんは私に懐いてくる事が多くなった。
 何故か、なんて。
 わかりきっている事だ。
 けれど、それは同時に恐れている事でもある。
「どうした?」
「はい?」
「何か、あった?」
 彼女に向けていた視線を空へと移す。
 長い沈黙の後、抱き締められている腕が更に強く抱かれる。
「……どうして、そう思われるんですか?」
 少しだけトーンの落ちた声。
 わかってるくせにと言いたげに。
「無理してるじゃん。らしくない」
「……そうですか?」
「少なくとも、私が知ってる祐巳ちゃんは」
 空へと逸らした視線を再度彼女へと向ける。
 その前まであった笑みは弱くなっていた。
「そんな顔じゃ笑わないよ」
 無言のまま私を見上げる彼女の目がぐっと細められ、閉じた。
 私もそれから目を逸らして足元の雪を見る。
「……ずるい」
「え?」
「そうやって、逃げないで下さい」
 抱いていた腕を解いて、私の真正面に立つ祐巳ちゃん。
 言葉の指す意味を図りかねて、見つめてしまった。
 すぐにそれを後悔しそうになる。
 真っ直ぐな瞳が私を捉えて放さなかったから。
 手を伸ばさなくても触れられる距離のままで沈黙を守り続ける。
 その間も、この沈黙を拭い去るように雪が舞い降りて来ていた。
「私、あなたの事、好きです」
 静かな空間を壊さない程度の声が、そう呟いた。
「私がそう思うのと同じぐらいに、私。あなたも想ってくれているんだって思ってた。今だって」
 ぎゅっと自分の胸を押さえるように両手を合わせて、彼女が俯く。
「……今だって、こうしてあなたといる事でドキドキしてる。好きって、強く想ってる。聖さま」
 後に続く言葉が紡がれる前に、ポンと祐巳ちゃんの頭に手を置いた。
「もういいよ」
「え……?」
「もう言わなくていい」
「でもっ」
 否定されたと思ったのか、戸惑いと焦りの色が色濃く浮かんでいた。
 そんな彼女の肩をくるりと回してこちらに背を向けさせると、もう一度後ろから背中を抱き寄せた。
「ちゃんと届いたから、気持ちは」
 張っていた肩の力が抜けたのか、祐巳ちゃんが身体を預けてくる。
 それをきちんと抱え直した。
「強いね、君は」
「……えっ?」
「心が強い。羨ましいよ」
 いつも思う。
 どこからそんな力が沸いて出ているのか。
 どうやったら、彼女のいる場所に辿り着けるのか。
 羨望や憧れだけではだめだという事はわかっているけれど。
 自分が傷つく事を無意識に恐れて、どうしても一歩を踏み出す事を躊躇いがちになる。

 だから、なのかもしれない。
 だから余計に惹かれているんだ。
 小さなこの身体に詰まった溢れんばかりの力と、優しい想いに。

「祐巳ちゃん」
 抱き締める腕に力を籠めて、
「言っておかなきゃいけない事あるんだけど、聞いてくれる?」
 少しの間を置いて頷いた彼女に笑みを零す。
 暖かいと感じていた胸の奥はいまだ冷めてはいない。
「本当はね、もうずっと前から祐巳ちゃんの気持ちには気付いてたんだ。でも、見ない振りをしてた。怖かったから」
 無意識に働く防衛本能が、心に入り込もうとするもの全てをシャットアウトしていた。
 例え手を伸ばした所で、触れる事なんて出来ないと思っていたから。
「それでも、私に手を差し伸べてくれる人がいる。私を好きだと言ってくれる人がいる」
 抱き締めていた腕を緩めると、私の腕を握っていた小さな手がギュッと袖を掴んだ。
 その手の上から自身の手を重ねる。
 冷え切っていた手のひらは、いつの間にかしっとりとした熱を帯びていた。
「きっとね、祐巳ちゃんには私の中にたくさんある「好き」って意味の言葉が一番多く当てはまるの。だから、すごく惹かれてる」
 精一杯、彼女に想いが届くように。
 耳元で小さく言葉を吐き出した。
 しばらくの沈黙の後、不意に腕の中の祐巳ちゃんが身じろぎした。
 放して欲しいのかと思って腕を解くと、逆にがっしりと抱き締められてしまう。
「ど、どーした?」
 しがみついてきた彼女が胸に顔を埋めたまま頭を横に振った。
 それと同時に、しゃくりあげるような声も聞こえる。
 思わず笑みが零れた。
 微かに震えている背をポンポンと宥める。
「泣くほど感動した?」
 コクンと祐巳ちゃんが頷く。
「なら、こっち向く」
 小さく肩を叩くと、しがみついていた腕はあっけなく解けて身体が離れた。
 けれど、祐巳ちゃんは俯いたままだった。
 下から覗き込もうとしても顔を逸らされてばかりで、キリがない。
「こーら、こっち向けってば」
 キリがないから、両頬に手を添えて無理矢理上を向かせた。
 母親に怒られて泣き腫らした後の子供のような目で私を見上げる。
 口元に湛えてた笑みを零したまま、コツンと彼女の額に自身の額をくっつける。
「祐巳ちゃん」
「……何ですか?」
「ありがとね。一歩を踏み出す勇気をくれて」
 何かを言いかけそうになった彼女に、そっと口づけた。

 これが、彼女に近づくための、私のはじめの第一歩。

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