ESCAPE

 目を凝らしても先が見えないような深い暗闇の中でひとつ息を吐く。
 ジャケットの内ポケットから替えのマガジンを抜き取り、銃に装着されているマガジンと取り替えた。
 そのまま息を殺して全方向へと気を張る。
 あたし以外は敵しかいない。
 この世界は、僅かな気の緩みと判断ミスが直ぐ様死に繋がる。
 神経と精神が少しづつ削り落とされていくような緊張感に負けるわけにはいかない。
 今まで培ってきた経験と勘に頼りながら、あたしは止めていた足をゆっくりと踏み出した。
 数歩足を踏み出した時、自分とは違うほんの少しの靴音が右後ろから耳に飛び込んできた。
 相手を確かめる事無く振り向き様に構えた銃のトリガーを数回連続で引く。
 足元を転がる薬莢の小さな音が辺りに消えると、遠くで僅かに重い音がした。
 それを確認するとあたしは再度あたりに気を張り詰めた。
 この場所には、まだ敵がいる。

 この闇の中から今か今かとあたしを狩るチャンスを伺っている殺人鬼達が――――。

 ゆっくりと身体を起こす。
 掛かっていた薄手の毛布を蹴りずらしながらベッドサイドに移動すると、ひとつ大きく伸びをした。
 この稼業を始めた頃から当たり前に見るような夢。
 ひとりだったあの頃に比べれば独りになる夢や顔も知らない誰かを殺めてしまう夢を見る事も少なくなったけれど。
 無意識のうちに蓄積されている拭いきれない恐怖や不安がこんな夢を見せている事がわかっている今は、さして気にする事もなかった。
 『いつもの事』
 そう自分に強く言い聞かせて、僅かに記憶に残る嫌なヴィジョンを掻き消した。
 ベッドから降り立って顔を洗いに行こうとバスルームへのドアに向き直る。
「あ……おはよう。ミレイユ」
 掛けられた声に身体ごと向き直る。
 右手に小さなケトル、左手にフライ返しが突っ込まれたままのフライパンを持った霧香がそこにいた。
 その妙に所帯地味た姿がおかしくて思わず笑ってしまった。
「おはよ。今日の朝はあんたのお手製?」
「……うん。約束だったし……。丁度、起こしに行こうとした所だったけど、起きてたんだね」
 少し恥ずかしそうに笑うと、食器が並べられているテーブルにケトルを置いて、フライパンの中身を皿へと盛っていく。
 それを見届けて、あたしは再度バスルームへと向かった。
 冷たい水で顔を洗うと、簡単にブラシで髪を梳かして起き抜けの格好のままでリビングに戻る。
 テーブルに近づいた瞬間、ふわりといい香りがあたしを包んだ。
 どんな美味しそうなものがあるのかとテーブルの上を見る。
「……………………」
 ……そういえば。
 昨夜眠る前に、料理が出来る出来ないの話をした時、霧香が終始苦笑を零したままだった事を思い出した。
 話の成り行きで「明日の朝食は霧香担当ね」と強引に押しきったけど……。
「……どうしたの、ミレイユ?」
 立ち尽くしているあたしの背後から霧香がひょこんと顔を覗かせる。
 それに苦笑を返すと、手前の椅子を引いて席に着いた。
 とりあえず、せっかく作ってくれたんだから食べなきゃ。
 ……ホントに、食べれればいいけど。
「……いただくわね」
「……うん。どうぞ」
 はにかみながら返事を返してくれた霧香の言葉に後押しされてスプーンを持つと、先程から良い香りをたてているスープを一口、口に運ぶ。
 …………。
「これ、なんて言うスープ?」
「……日本の言葉で言えば、お味噌汁って言うんだけど……」
 不安そうな表情を浮かべて、控えめにそう呟いた。
「ふーん」
 曖昧に返事を返して、再度スープを口に運ぶ。
「…………やっぱり、口に合わない、かな……?」
 黙々と食べているあたしを恐る恐る見ながらそう聞いてくる霧香。
 申し訳なさそうに小さくなっている霧香に向き直ると、
「まさか。すごくおいしいわよ、この、何だっけ、おみそしる?」
 ひとつ笑みを向けると、それまで不安がっていた霧香の表情がパッと晴れやかなものになる。
 誉められた事が嬉しかったのか、普段あまり見せない心底嬉しそうな笑顔まで覗かしている。
 そんな嬉しそうな霧香を横目に、
「……ま、後は散々みたいだけど?」
 少しの笑みを交えて、大きな皿に乗っかっている黒焦げのベーコンエッグと焼き過ぎのトーストに目を向ける。
 途端、それまで嬉しそうだった霧香の表情が昨夜見せていた苦笑に変わった。
「…………だから、苦手だって……言ったのに」
 多少の苦笑を零しながら霧香が拗ねた口調で呟く。
「でも、このスープは美味しいわ。ね、今日の夕飯作る時にでも作り方教えてよ?」
 黒焦げのベーコンを頬張りながら隣の椅子に腰掛けた霧香を見る。
 それが意外だったのか、きょとんとした顔であたしを見つめ返す霧香。
「……どうかした?」
「え、ううん……そんなに気に入ってもらえるなんて思わなかったから」
 苦笑を零したままテーブルに置かれていたケトルを手に取ると、出されていた2つのカップへと少し色の薄いのコーヒーを注いでいく。
「……うん、いいよ。あまり、作ってる所見せたくないんだけど」
 差し出されたカップを受け取って、そのままコーヒーを口にする。
 言われてみて、ふと、そういえば霧香が料理している姿を見た事ないなと思った。
 手伝ってもらう事はあるけど、一人でキッチンに立つ所は見た事がない。
 むくむくと強い興味と好奇心が沸いてきて、あたしは再度霧香に笑顔を向けた。
「じゃ、約束ね」
 苦笑を零したままの霧香が口をつけていたカップをテーブルに置くと、あたしの言葉にひとつ、笑って頷いた。

 今度は左前に殺気を捉えて、息を吐く間もなく気配を感じた方へと先程と同じように発砲する。
 耳を澄まして音を聞いた。
 静まり返った辺りからは何も聞こえてこない。
 手応えは感じられなかった。
 ……寸での所で、逃げられた?
 二本目のマガジンを取り替えながら、辺りの気配を探る。
 残るはあと一人。
 このゲームから抜け出すには、あと一人倒せばいい。
 腕や脇腹を掠った銃創の痛みを理性で押しこめながら焦る気持ちで辺りを探る。
 慎重に気配を探りながら、ゆっくりとその場を一歩、二歩、と足を踏み出す。
 あたしの響かせるヒールの僅かな靴音が辺りに響く。
 その規則的な靴音に僅かに違う音が混ざって聞こえた。
 ゆっくりと歩を進めるあたしの後を同じスピードでついて来る。
 辺りは障害物も何もない暗闇ばかり。
 そして、この闇の中では相手の姿さえ見えはしない。
 十分過ぎるほど慎重に歩を進めていた足を止めると、ついて来ていた小さな靴音も同じに鳴り止んだ。
 まさか、相手にはあたしの動きが見えているってわけ?
 それはもしかして、イチかバチかの賭けに出るしかないって事?
 銃を握る手に力が入る。
 ……・あたしが動けば相手も何かしらのアクションを見せるはずだ。
 そのほんの少しの隙に何とか勝機を見出すしか道はない。
 大丈夫。今までにいくつもこんな修羅場をひとりで乗り越えてきた。
 いつもと同じ。
 大丈夫。あたしには、それが出来る。
 ゆっくりとそう自分に言い聞かして、相手に知られないように小さく息を吐く。
 次のカウントで、勝負を決める。
 …………3。
 …………2。
 ぐっとP99のグリップを握り締める。
 …………1……!
 自分の中のカウントダウンと共に、あたしは左へと思いきり飛んだ。
 その瞬間、元いた場所に着弾音が聞こえる。
 勢いもそのままにもう一回、銃声のする方へ何度も銃を撃ちながら今度は右斜めへと走りこむ。
 あたしの通った道筋を相手の銃弾が通り抜けていく。
 ギリギリ間一髪の所を全速力で駆け抜けながら、右へ左へとジグザグに走り少しづつ相手との距離を縮めていく。
 突然、前方から弾切れを知らせるハンマーの音が聞こえる。
 チャンス?!
 咄嗟に右へと曲がろうとした重心を左へと動かして回り込み相手のすぐ背後を取る。
 そうして、相手の動きを封じるために直ぐ様銃口を背中へと押し突けた。

「ね、ミレイユ?」
 あたしを呼ぶ声に、雑誌へ落としていた視線を声のした方へと上げる。
 頼んでおいたコーヒーのカップを差し出しながら、すぐ側に霧香がいた。
「ありがと。で、何?」
 あたしがカップを受け取ったのを見届けると、ソファーの対面のベッドへと腰掛ける霧香。
「大した事じゃないの。……あの時にした約束も忘れたわけじゃないんだけど……」
 苦笑を零しながら少し言い辛そうに目を伏せるとそのまま押し黙ってしまった。
 約束――――はじめにとりつけたあの口約束じゃなくて、これからを始めるために新しく交わした強い約束。
 何を言いたいのかを何となく感づいて、心の中で小さく溜息をつく。
 だけど、霧香が言い出すまで口を挟まない事にした。
 そのまま少しの間、沈黙が走る。
 なかなか言い出さない霧香に業を煮やして少しの文句でも言ってやろうかと口を開いた瞬間、意を決したように霧香が顔を上げた。
「……怒らないで、聞いてくれる?」
「…………えぇ」
 言いかけた言葉を飲み込んでそう答える。
 あたしの言葉にひとつ小さく頷くと、先程と同じように少しの苦笑を零しながら霧香が口を開いた。
「……やっぱり、まだ、思う事があって。……私は、ここにいていいのかなって」
 そこで言葉を切って、腰掛けているベッドに膝を抱えて座り直す霧香。
「……家族って言ってもらえて、すごく嬉しかった。嬉しくて……でも、やっぱり……本当にいいのかなって。今でも……そう思ってる」
 あたしと目を合わさないままポツポツと呟くように気持ちを口にする。
 予想していた事と同じ事を口にした事に、思わず口元に笑みが零れてしまった。
 何も言ってこないあたしを不思議に思ったのか、落としていた視線を上げる霧香。
 意に反して笑みを噛み殺しているあたしを見て不思議そうな顔をする。
「…………何か、おかしい?」
「別に。まだそんな事考えてたのかって思っただけよ」
 それまで手に持っていたカップを蹴り倒さないようにソファーの下へ置くと、真っ直ぐに霧香を見た。
「でも、それってルール違反ね」
「え?」
「過去の事には拘らないんじゃなかったの?」
「だから、怒らないで聞いてって……」
 怒られるんじゃないかと恐る恐るあたしを見返す霧香ににっこりと笑顔を返す。
「わかってるわよ。そんな顔しなくたって」
 組んでいた足を組みかえると、少しだけ身体を前にかがめて両手を膝の前で組む。
「ここにいるのは、不満?」
 あたしの問いかけにきょとんとする霧香。
 けれどすぐにはっとなって大きく頭を振る。
「『家族』は、不満?」
 今度も先程よりも大きく頭を振る。
「だったら、もうそんな事は言わないの。それに、何度も同じ事言わせないで?」
「……ごめんなさい」
 申し訳なさそうに、けれど嬉しそうに、霧香が謝罪の言葉を口にする。
 そんな霧香から目を反らして足元に視線を落とすと、ソファーの下に置いた少し温くなったコーヒーのカップを手に取る。
 数口ほど口にして溜まった息を吐く。
 そこで、ずっと頭の中にあった言葉も吐き出そうと口を開いた。
「……あんたがここにいるのは、あんたがあたしの『家族』で。あんたにとってもあたしにとっても、ここが、帰って来れる『家』だからよ」
 ポツリと、何でもないように口にして、ふと霧香を見やる。
 先程と同じくきょとんとしたままあたしを見る霧香に、
「そうでしょ?」
 ニヤリと、同意を求める笑みを向けてみた。
「……ありがと、ミレイユ」
 少しの間を置いて、コクリと笑顔を零しながら霧香が頷く。
 その笑顔にあたしもひとつ頷いて見せた。

 相手の背に押し当てた銃のトリガーを躊躇い無しに数回引く。
 乾いた音と共に返り血があたしの頬へと飛び散る。
 前のめりに倒れていく目の前の人影が小さくうめいた声に微妙な違和感を感じた。
 それを確かめるために、ゆっくりと用心しながら倒れた人影の側へ寄る。
 暗さに慣れた目でもそれが小柄な人間だという事しかわからない程の深い暗闇のはずなのに。
 あたしの目には、倒れているその人物の苦悶の表情がわかる程はっきりと見えていた。
 言葉が出ない。
 今、この瞳で捕らえているものから目が反らせない。
 どうして?
 ……どうして、ここに?
 足元に広がるどす黒い体液が、少しづつあたしの視界で大きくなっていく。
 どうして、ここにいるのよ?
 身体がガクガクと震えているのがわかる。
 銃を握る手にも力が入らない。
 自分はあたしの敵だとでも言いたいわけ?
 本当は、あたしの敵だったとでも言いたいわけ?

 ――――――ねぇ、
          ………………霧香?

 視界が突然クリアになる。
 目に飛び込んでくるのは、薄闇にくっきりと浮かぶいつもの見慣れた天井。
 そのいつも通りの見慣れた景色にあたしはひとつ大きく息を吐くと、顔に掛かっている前髪を左手でかきあげた。
 ――――また、夢……。
 もう何度このテの夢を見ているのか……。
 これと同じような夢を見る度にどんどん悪い方へと事が進んで行っているような気がする。
 それも、よりによって……。
 ふと目の奥に浮かんだイメージを振り払うために、空いている右腕を隣に寝ている同居人へと恐る恐る伸ばしてみる。
 けれど、そこにあるのは人がいたという僅かな温もりと、寝乱れた薄手の毛布だけだった。
 思わず上半身を起こしてその場所を見る。
 いない。
 いつも隣で幸せそうな顔をして眠っている同居人が。
 そこに、いない。
 あたしは辺りを見回した。
 シンと嫌なほど静まり返った室内に、霧香と思わせる気配が感じられない。
 心臓が早鐘の様に痛いほど脈打っている。
 掻き消したはずのイメージが頭の中でグルグルと回っている。
 ――――やめてよ、こんな冗談。
 こみ上げてくる焦燥感に押されて、霧香の名を呼ぼうと口を開いた。
「……ん? ……ミレイユ?」
 気の抜けた声があたしを呼んだ。
 声のした方へ目を向けると、起き抜けの寝ぼけた顔のままの霧香がボーっとあたしを見ている。
 あたしもまた、事態が把握出来ずに呆けた顔のまま霧香を見つめた。
 不思議そうな顔をして元々寝ていた場所へと座ると、少し心配そうな眼差しであたしの顔を覗き込んできた。
 恐る恐る、そこに存在しているものかを確かめるように頬へと指先を伸ばした。
 淡い温もりが指先を伝って感じる。
 そして、間髪入れずに目の前の霧香を胸に抱き寄せた。
 突然の事に霧香が小さく声を漏らしたが、拒む気配は感じられない。
 腕の中の温もりを逃がさないように、もっと強く抱きしめる。
「……ミレイユ? どうしたの?」
「あんたが敵なわけないじゃない……」
 あたしが見た夢の話が通じるわけもないのに、そう言わなければいけない気がして呟いた。
 案の定、霧香からは返事はない。
 ここからでは見えないけれど、きっと困った顔をしているに違いない。
 けれどそれを詫びる心境ではなかった。
 この腕を離してしまったらどこかへ逃げていってしまうんじゃないかという焦りがあたしを支配していたから。
 霧香を抱きしめる腕にまた少し力を込め、もっと強く自分に抱き寄せる。
 言葉が欲しかった。
 自分は敵ではないという言葉が欲しかった。
 側にいるって、言って欲しかった。
 それがただの言葉に過ぎなくても、あたしには十分過ぎる程の慰めになる。
 嘘のつけないパートナーの言葉は、十分に信じられる。
 戸惑っているような小さな呟きが聞こえた。
 何て言ったのかはわからない。
 ただ、触れている肌から感じ取れる鼓動は、最初抱きしめた時よりも少しだけテンポが早く感じる。
 そっと、躊躇いがちに霧香の両手があたしの背に回された。
 そうして、時々あたしが泣き出しそうな霧香にするように、ポンポンと柔らかく背を宥める。
「……大丈夫。私は、ここにいるわ」
 泣いている子供に言い聞かせるような優しい声のトーンで、そう囁いた。
 沈黙を消さない程度に響いた音があたしを包み込む。
 その声がゆっくりと胸の奥にまでに染み込んできて。
 不意に、目頭が熱くなった。
 ずっと抑えていた感情が爆発しそうになる。
 泣きそうになるのを抑えるために霧香の肩に額を当てて顔を見られないようにする。
 小さな強がりかもしれないけど、霧香には涙や泣き顔を見せたくなかった。
 それでも、ゆっくりと背を宥められる優しいテンポに堪えていた感情が溢れてきて。
 涙が、零れた。
 小さく刻まれるリズムがゆっくりとあたしの中に染み込んでくる。
 堰を切られたように抑え込んでいた感情が止まらなくなって。
 頬を伝う涙が止まらなかった。
 泣き出したあたしの背を、変わらずゆっくりとした柔らかいテンポで宥めてくれる。
 それはまるで、まだあたしが幼かった遠い昔。
 泣き出してしまったあたしを母親が優しくあやしてくれているような、そんな感覚。
 こうやってあたしが霧香を落ち着かせる時も、今あたしが感じているような安堵感を霧香も感じているのだろうか?
 ――――久しく忘れていた、とても懐かしいこの安らぎを。

 鼻先に感じる淡い温もりにはっとなって閉じていた目を開ける。
 思わず声をあげそうになった。
 目に飛びこんできたのは、すぐ目前の安心しきっている安らかな霧香の寝顔だけで。
 鼻先に感じた温もりの正体は僅かにかかる霧香の寝息だった。
 とりあえず、霧香を起こさないようにゆっくりと静かに身体を起こす。
 視線を窓の方へ移すと、外は晴れやかな青が広がっている。
 枕元に置かれている霧香の腕時計を見ると、針は正午を指していた。
 少しだけ寝過ぎたかもしれないと思いながら、ゆっくりと背伸びをした。
 いつのまにか眠ってしまっていた。
 ……もしかして、あたし、泣き疲れて眠ってしまったとか?
 そう言えば、昨夜のあの言い表せない程の不安や焦燥感は少しも感じられない。
 今あたしの中にあるのは、すっきりとした気持ちの開放感と胸の中に残るあたたかな感覚だけだった。
 ひとつ大きく息を吐くと、視界を遮っている髪をかきあげて横目で霧香を見た。
 …………なんだか……少し、気恥ずかしい感じがする。
 たかだか夢ぐらいで人にすがって泣いてしまうなんて。
 ……それほど、あたしの中で不安や恐怖を感じてしまうぐらいの大きな存在になってるって事で。
 いなくなってしまうと自分の半身を無くしたような感覚になるんだろうな、なんて思いながら、健やかに眠るその寝顔を見つめた。
 パートナーであり、友達であり、姉妹であり。
 大切な、家族。
 何にも代え難い、無二な絆。
 「生かしてくれてありがとう」と、霧香は言う。
 だけど。
 それによって、あたしもまた生かされている事を強く感じている。
 幸せそうに眠る霧香の寝顔を見つめていると、不意に笑みが零れた。
「……ねぇ、霧香?」
 眠ったままの霧香に、囁く程度の小声で話し掛ける。
「悔しいけど……」
 閉じられている目に掛かっている髪を指先で払いのけ、ゆっくりと髪を撫でる。
「どうやらあたしは、あんたがいないとダメみたいよ?」
 先程からあった気持ちが手伝ってか、決して口にしない胸の奥に隠していた言葉をそっと口にした。
 ずっと仕舞い込んでいた、言えない本心。
 面と向かってなんて、絶対に言えない。
 ……こんな事、言葉として口にするのは本当に照れくさくて。
 きっと霧香ははにかんだ笑顔で頷いてくれると思うけど。
 仰向けのままだった霧香がごろんと寝返りを打って、髪を撫でるあたしの手を離れた。
 それに笑みを零すと、中途半端に掛かっている薄手の毛布を肩のあたりまで掛け直す。
 こいつが起きて昨夜の事を言ってきたら、何て言ってやろうかしら。
 素直にありがとうってのは……少し癪だ。
 かと言って何も言わないのはさすがに気が引ける。
 ――――だったら。
 もぞもぞと掛けられた毛布を口元辺りまで引き上げて、再度、今度はあたしの方へと寝返りを打った。
 見られている視線に気付いたのか、霧香がうっすらと目を開いた。
 その寝ぼけた顔と目が合う。
 きょとんとしてあたしを見る霧香が何だかおかしくて、込み上げる笑いを噛み殺す。
「…………どうしたの……?」
 寝起きの小さな声で不思議そうに問い掛けてきた。
 問い掛けに少し肩を竦めて見せると、先程から考えていた言葉を頭の中で確認する。
 そして、伝えようと口を開いた。
 努めて普通に、感謝の意と少しの照れくささと一緒に。

「おはよう、霧香」

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