Retrovirus
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WISH

 大通りを行き交う人の流れに逆らいながら歩いていく。
 はぐれないようにと繋がれた手を引かれて、先を歩くミレイユの後を黙々とついて行った。
 通りを華やぐ赤と緑のイルミネーションに目もくれず、ただ一直線に、彼女の部屋があるアパルトマンへの帰路を辿って行く。
 雪に足を捕られて倒れそうになった時に掴まれた腕が、まだ熱かった。
 いきなり抱き留められるなんて思ってなかったから。
 それが、知らない他の誰かなら、良かったのに。
 知らない他人なら、簡単に挨拶を交わすだけで済んだのに。
 ミレイユに会いたくなかったわけじゃない。
 だけど、まだ……気持ちの整理がついてない。
 そもそも、どうして彼女があそこに現れたのかがわからなかった。
 雪で凍っている足元に注意を払いながら黙々と前を歩いている彼女の背を見つめる。
 感じる雰囲気が今朝方最後に見たミレイユの雰囲気と一緒だった。
 まだ胸の中で何度も繰り返される言葉と最後に見たミレイユの顔を思い出す。

 もう何度も、忘れろと言われ続けてきた事がある。
 過ぎた過去の事だからもう気にするなと言われ続けている。
 だけど。
 「大丈夫」と優しい笑顔を向けられると、逆に、辛くなってしまう。
 私を許すそんな優しい声を聞くと、胸が、痛くなる。
 一緒に生活を始めたあの場所から新しく再出発を始めて数ヶ月。
 それまで歩んできた日々のひとつひとつを思い出しながら取り戻した自分を見つめ直すと、どうしても引っかかる事があった。
 もう何度もそれを口にして、その度にあたたかい言葉と勝気な笑顔で私を許してくれた。
 ……でも。
 どうしても、気持ちが割り切れない。
 遠い、過ぎ去った過去かもしれないけれど。
 今でもつい最近のように夢に見る事だってあった。
 何も持ち合わしてなかった私とは違って、彼女にとっては、失くしてはいけないものだったのに。
 そう思うと、どうして私を笑って許せるのかが、わからなかった。
 彼女の方が受けた傷は大きいはずなのに。
 そんな疑問や少しづつ積み重なっていた胸の痛みで、知らず知らずのうちに泣き出してしまう事も多くなってしまっていた。
 今回だってそうだ。
 私がまた昔の事を口にしたから。
 はじめのうちはいつものように笑顔だったミレイユに向かって、お互いに禁忌としていた事を……『いなくなればよかった』だなんて、言ってしまったから。
 彼女を傷つけ怒らせてしまって……そうして、私は、あの部屋を飛び出してきた。
 背中越しに掛けられた「じゃ、いなくなれば?」って言葉が、胸に刺さったままでいる。
 だから……どうして今、こうしてミレイユに手を引かれてあの部屋に戻っているのか……わからない。
 いなくなればいいって言ったのは……ミレイユなのに……。

 何も会話を交わす事もないまま、お互いに黙りこくったままで近道のための裏路地に入る。
 この道に入ればアパルトマンはもうすぐそこ。
 それがわかっているのか、先程まで大通りを歩いていたミレイユの雰囲気が少し柔らかいものになった。
 同時に、何かを聞かれそうな気配を感じる。
「あぁ、そうそう」
 何かを思い出したのか、振り向かないままミレイユが口を開いた。
 返事をしようか迷っていると、構わず彼女が言葉を続けた。
「次からは、遅くなるなら一言だけでもいいから出先から連絡入れてよね」
 ミレイユを見るのが忍びなくて俯いていた顔を上げる。
 一緒のタイミングでミレイユも少しだけこちらに振り返った。
 一瞬だけ目が合う。
 でも、すぐさま私から目を逸らした。
「そうしたら、こうやって探しに出る事もないんだからね」
 笑いを入り混ぜながら、冗談めかしてそう口にする。
 普段なら、隠れた意味に、素直に嬉しいと思う言葉だけど。
 ……今は素直にそう思えない。
「……あんたの手って、こんなに冷たかったっけ?」
 ポツリと呟いて繋いでいる手をきゅっと強く握られる。
「…………ミレイユの手も、冷たいよ……」
「そう? まぁ、手袋してくるの忘れてたからね」
 ……そんな小さな事を忘れる程、気にしてくれたって、事?
 こんなに手が冷たくなる程まで探してくれたって事?
 ……どうして?
――――どうして……探しになんて、来てくれたの?」
 ずっと胸の中にあった疑問を小さく口にする。
 言葉を選んでいるのか、進めている足のスピードがゆっくりなものになった。
 つられて私も歩む足を緩める。
「どうしてだと思う?」
 先程と同じように私を見ないまま背中越しに問い掛けられる。
 どうしてだなんて、それがわからないから聞きたいのに。
「じゃ、あんたがあたしの立場だったら?」
「……?」
「あたしがどっかいなくなったら、あんたはどうするの?」
 ……いなくなったら……嫌だ。
 ミレイユが何処かへいなくなってしまったら、私は……。
「探してくれるのかしら?」
「……うん」
「それと同じよ」
「え……?」
「本気でいなくなったんじゃないかって冷や冷やしたけど」
 少し肩を竦めながら笑った。
「……でも、ミレイユ……今朝……」
「あぁ、あれね。売り言葉に買い言葉ってやつよ。あんたがつまらない事言うからでしょ?」
 苦笑を零しながらミレイユが立ち止まる。
 私も足を止めて彼女を見上げた。
「あたしとしては、あんたがあそこにいてくれるのが、嬉しいんだけど?」
 照れ隠しなのか、そっぽを向いてそう呟くミレイユ。
「……どう、霧香?」
 名前を呼んでくれた声がひどく優しかった。
 それが緩く胸の奥を突く。
 繋いだままの彼女の手のひらに少しづつ熱が戻り始めているのに気付いた。
 ……忘れていた。
 当たり前に思っていて、大切な事を忘れていた。
 今までにも何回も聞いてきた事なのに。
 一緒にいられる事が何よりも嬉しい事だって、もう何度も言ってきたのに。
 目の前の感情に目を奪われて、大事な事を見逃していた。
 押し潰されそうな感情を抱えながらもあそこにいるのは、ミレイユと共にありたいと思うから。
 ミレイユと一緒に、これからを生きたいから。
 不意に強く手を引かれる。
 足を止めていたミレイユがまた歩を進めていた。
 歩き出した彼女に合わせてゆっくりと後ろをついて行く。
「……ミレイユ」
 後ろ姿の彼女に恐る恐る声を掛ける。
 けれど、返事はなかった。
「……あの……ね」
 繋いでいる手がさっきからじんじんと疼くように熱くなってきてる。
 ふとすぐ前方にミレイユの気配を感じて顔を上げる。
 同時に踏み出しそうになった一歩を何とか踏みとどまる。
 いつの間にかアパルトマンの彼女の部屋の前にいた。
 踏みとどまったのは、部屋の鍵を探してジャケットのポケットを探っているミレイユの背に突っ込んでしまいそうになったからだった。
 彼女はジャケットのポケットから部屋のキーを取り出すと、手早くドアのロックを外し、ノブを回してドアを開けた。
「ほら、寒いんだから早く入んなさいよ」
 振り返りざまにそう言われてビクリとした。
 すぐ側にミレイユの顔。
 ドクンと大きく心臓が脈打つ。
 言われるがままに手を引かれて部屋に戻る。
 そこで、繋いだままの手が離された。
 私が入ったのを確認するとしっかりと部屋のドアを閉め、玄関の棚の上方にあるライトのスイッチに手を伸ばす。
 けれど、伸ばされた手はスイッチには触れなかった。
 その前に私が彼女を引き留めていたから。
 不思議そうに私に振り返るミレイユの頬を両手で包み自分に引き寄せる。
 そのまま、何かを言い出しそうな赤の唇へ自身の唇を押し当てる。
 ずっと堪えていた感情が爆発しそうだった。
 もどかしい気持ちとか、泣きたい気持ちとか、どう言っていいのかわからない気持ち。
 その全部が入り混じって、でも、一番強く思うのは。
 彼女をとても愛しく思う、その気持ちだった。
 触れている頬も唇もとても冷たいけれど。
 胸の中に込み上げてくる想いは、あたたかい。
 押し当てていた唇をゆっくりと離す。
 閉じていた目を開けると、まだ少しあっけに取られたままの表情の彼女が私を見ていた。
 何を言うわけでもなく、至近距離のままで見つめ合う。
「……ごめんなさい」
 しばらくの沈黙の後、ずっと胸の奥にあった言葉を口にした。
 それにふっと笑みを零すと、ミレイユも両の手を私の頭の後ろで組んでグッと自分へ引き寄せた。
「謝るぐらいなら、最初から出て行ったりしないの」
 穏やかな声と共に、コツンと私の額に自身の額をくっつける。
「…………うん」
 自然と笑みが零れた。
 同時に、涙も。
「っもう、いつからこんなに泣き虫になったのかしら?」
 柔らかな笑みを浮かべたまま、目尻を伝った涙の跡にそっとキスをくれた。
 そのひとつひとつの仕草が嬉しくて。
 とても、愛しくて。
 再度彼女へ唇を寄せた。
 胸の中で大きく膨らんだ想いを抱いて。
 笑みを零したまま伏せられた瞳を見つめながら。
 強く抱き寄せられたやんわりと暖かいぬくもりを全身で感じながら。
 溢れそうな気持ちを手渡すように。
 そっと、触れる。
「……大好き」
 私が零した言葉を掬うように、もう一度唇が交差する。
 離れた唇が遠ざかり、不意にすぐ耳元で笑う声が聞こえた。
「プレゼントは、これでいい?」
「えっ?」
「今日は、クリスマスだし?」
 可笑しそうに笑うミレイユ。
 おどけて笑う彼女につられて、私も小さく頷きながら笑顔を零した。

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