想樺~希~(零~赤い蝶~)

 恭しく頭を下げて道にかしこまる宮司達を無視して、開かれた道を進んで行く。
 見慣れた門。
 それを潜った先にある見慣れた家。
 どこかしこにいる宮司が俺達二人に向かって一礼をくれる。

 全く、馬鹿馬鹿しい。

 黒澤の家の中に足を踏み入れる。
 玄関からの道はわかっている。
 後はそれを行くだけ。
 俺の少し後ろを行く樹月の顔が見ていられない程苦痛に歪んでいた。
 神送りされる俺よりも悲痛そうな顔。
 全く、これじゃどっちがこれから死にに行くのかわからない。
 声に出さずに笑みを零すと、
「…………睦月」
 この世の終わりのような声で樹月に呼ばれた。

 これで何度目か。
 こうやって呼び止めておいて、
「……いや、何でもない」
 何でもありますと言いたそうな表情を見せてくる。
 相手にするときりがないので無視して足を進める。

 儀式の間の前。
 両開きの扉の前の宮司が俺達に一礼する。
 そしてその扉を開けた。

 覚悟を決めたと言えば聞こえがいいかもしれないが。
 まだ、伝えておきたい事が山のようにある。
 まだ、やっておきたい事が山のようにある。
 けれど、それはいい。
 多くを伝えなくても、俺達はいつでも繋がっているから。
 言葉にしなくても、想いが、伝わればいい。

 地下へ通じる部屋へ足を踏み出そうとした刹那、背後が急にざわめき出した。
 何かと思って振り返ると、
「なりませぬ。いくらあなた様とはいえ、これは神聖なる儀式。通すわけには参りませぬ」
「お願い! 一目だけでいいの! 睦月くんに逢わせてよ……!!」
 わらわらといる宮司や村人達に阻まれても尚、必死にこちらへ駆けて来ようとする姿を見つけてしまった。
 ……ったく、こいつは。
 なんてタイミングだ。
 思わず、何度も樹月に呼ばれる度に堪えていた笑みを吹き出した。
「まったくよぉ、どいつもこいつも、最後まで世話かけさせやがる」
「え?」
「心配すんな! すぐに戻る」
 聞き返す樹月の肩越しにざわめいていた廊下が、突然あがった俺の一言に一瞬にして注目を集めて、静まった。
「睦月……?」
「心配すんな。お前の胸の奥(そこ)に俺はいる。約束したよな? なぁ、紗重」
 立ちはだかっていた宮司の脇を抜けて、いつの間にか空けられていた廊下の直線上にいる紗重を見る。
 いつかのあの時みたいに両目いっぱいに涙を湛えて、それでも零さないように俺を見ている。
 そんな必死な姿を本当に愛しいと思う。
「そうだろ?」
「……っ…………」
 こみ上げる嗚咽を堪えながら、頷くだけの返事。
 けれどそれで涙が零れてしまった。
 でも、それでいい。
 俺はこれでいい。
 伝えたい事は、全てじゃないけれど伝えた。
 あいつには嫌になるぐらいに伝わったはずだ。
 最後に俺に見せる顔ぐらい笑っていて欲しかったけど、まぁ、許してやる。
「……あ、睦月!」
 再度ざわめき出してしまう前に、止めていた歩を進めて開いている扉の中へと入る。
「忘れないから! 私、絶対に忘れないからっ!!だから……!!」
 紗重の言葉が閉められた扉に阻まれて、最後まで聞こえることなく消えた。
「……儀式までまだ時間がございます。それまで、こちらでご控え下さい」
 部屋に控えていた宮司はそれだけを言うと俺達を置いてそそくさと地下へ降りて行った。
 後には沈黙だけが残る。
 その沈黙を、溜息で破った。
「…………樹月」
「……ん……?」
「何があっても、俺は必ずお前を許す。だから、後は頼む。絶対にあいつらを逃がしてやってくれ。こんな下らねぇことに、絶対に二人を巻き込むな」
「…………」
 一気に後ろの気配が凍りつくのがわかる。
 どんな顔をしているのかも。
「あぁ、わかってる。必ず、守るよ…………睦月」
 紡がれる言葉の音が次第に下がって行き、遂には俺の名を呼んで消えた。

 決めたのはもう随分前。
 俺と樹月が紅贄祭の御子に選ばれた時。
 儀式の失敗は、相手が樹月と決まっているだけでもう最初から目に見えている。
 だから、少しでも見込みがあるのならと、最悪あいつら二人が巫女に選ばれる可能性がゼロではないのなら、あの二人だけでも安全な場所へ逃がそうと俺が持ち掛けた事だった。
 自分達の平穏しか望めないようなそんな心の狭い連中のいる場所に、あの二人を残す事が躊躇われたからだ。
 知ってしまった儀式の内容に嫌気が差した。
 それが最善な方法だと信じて疑わない村の連中に嫌気が差した。
 何より。
 大切だと思うヤツが犠牲になるかと思うと、それが一番頭にくる。
 自分の家族や、友達や。
 申し訳ないと思うけれど、俺はそいつらよりも、あいつらを……あいつを。
 脳裏に浮かんだ先刻の場面。
 本当に最後に見た泣き顔。
 それにダブって、妹の泣き顔を思い出す。
――――はは、どっちに転んでも千歳には悪い事するな」
「…………っ」
 言葉を遮るように息を飲み込む樹月。
 躊躇う様に肩に置かれた手から、顔を見なくても今にも泣いてしまいそうな樹月の表情が浮かんだ。
 ……最後に思うのは誰かの泣き顔ばかり。
 本当に、これで一体何度目になる?
「ホントにさ、最後の最後まで世話かけさせんな。樹月はさ、兄貴だろ、俺の」
「…………あぁ、そう……だな」
 刻み付けた紗重の声と同じ強さで、搾り出された樹月の声を胸の奥に刻み付ける。
 本当は泣きたいのは俺も同じなのに。
「泣くな。……今ぐらい、ちゃんと俺の兄貴しろって」
 笑って、最後に泣き顔でも見てやろうかと振り向きかけて、
「時間です。こちらへ」
 最高で最悪のタイミングで宮司が現れた。
 肩に置かれた手に僅かに力が篭って、すぐに離れる。
「あなた様はこちらです」
 促された後ろの気配が躊躇って、ゆっくりと俺から離れる。
 それを確認して、俺も自分の道へと歩を進める。

 正直、今更生に執着なんてない。
 けれどこの村やこいつらのために、死に、蝶になる道に、赴くんじゃない。
 しきたりや儀式なんてものはクソ食らえだ。

 俺はただ。
 ただ、俺の大切な人達のため。
 そいつらが、これからも幸せでありますように、と。

 ――――そう、願うだけだ。

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