メッセージ
「んじゃ、来週~」
玄関の戸からにやけ顔とひらひら振ってる手だけを出して私に声を掛けて来た。
私はそれに苦笑を零して、適当に手を振り返す。
それに満足したのか、彼女はにっこりと笑って玄関から消えた。
「……はぁ」
ひとつ大きく溜息をついて、玄関から奥の部屋へと向かう。
そうして、私は再度溜息をついた。
「せめて、片付けてから行って欲しいものだわ」
これ以上ないほど散らかっているテーブル周辺を見回して、ずれた眼鏡をなおす。
買ってきたおつまみやジュース類のペットボトルとか。
どこからか持ち込まれたお酒の空き缶とか。
食べ終わった後の食器やコップとか。
こまめに片付けていたはずなのに、終わってみれば足の踏み場もないほどの散らかり様。
これを私ひとりで片付けろというのか。
……まぁ、いつもの事といえば、いつもの事なんだけど。
そろそろ限度というものを考えて欲しい。
言葉に出さず自分の内側で怒りを表した所で、どうなるわけでもなく。
私は、諦めて部屋の片付けに専念する事にした。
まずは空き缶を選りすぐってテーブルに集める。
と、テーブルの端の方でチカチカと何かが光っている。
「……あぁ」
小窓の表示に留守番電話のマークが光っていた。
「そういえば、解除するの忘れてた」
大学の講義が終わった後も、家に帰ってくるまでも、ずっとばたばたしていたからすっかりマナーモードを切るのを忘れてた。
携帯を開いて確認すると3件程メッセージが入っているようだった。
サービスセンターへのコールを聞きながら、空き缶をスーパーのビニール袋へと詰めていく。
『……日、15時03分』
日付を知らせる機械音声の後、そのまま騒がしい騒音が聞こえてきた。
『加東さんどうも。山田です。今日はゴメンね~。佐藤さんにも謝っておいたけど。次は絶対に空けとくから。飲み明かすわよ~? あははっ、それじゃ!』
まとめ終えた空き缶の袋を台所へと持って行った所で、明るい声と共にガチャンと回線が切れメッセージが終わった。
「なんだかんだで律儀よね、あの人」
彼女と同じくクラスメイトの顔を思い浮かべて、苦笑を零す。
色々とつきあいで顔を合わせる事が多くなってきた人。
あの人はあの人で別にグループを持っているからか、私達とはそんなに一緒にいる事はないのだけど。
次のメッセージを聞くためにボタンを操作して再生する。
『……日、17時49分』
今度は聞きなれた店のBGMが聞こえてきた。
『あ、土谷です。バイトのシフトの件、了承しました。今日から新しいシフトに入れ替えておきました。なので今日は休んでもらっても大丈夫なんで。ではまた職場で』
「えぇと、手帳手帳……」
畳の上に積み重ねられていたお皿や散らかっているおつまみの袋に混じって投げられていた自分の手提げ鞄から黒革の薄い手帳を取り出して、テーブルの僅かなスペースに広げる。
えぇと、今日からシフトが変わったって事は、今日と土日が休みになるって事だから……。
今月のスケジュール表の水・土・日の曜日に青ペンでマルをつける。
「じゃ、来週はOKって事になるわけね」
来週末の土曜に「集」の文字を書き入れる。
ここの所、結構頻繁に家に人が集まって来ている気がする。
いや、気がするんじゃなくて実際に集まっているんだけど。
最初はただなんとなくの付き合いと彼女の頼みで場所を提供しているだけだったのだけど、最近になって随分と集まりを楽しみにしている自分に気付いた。
人とのつきあいなんて、最低限度以上のものは必要ないと思っていたのに。
その認識を彼女が変えてくれたと言っても過言ではない。
次のメッセージ再生のセットをして広げた手帳を鞄にしまいながら、流れるのを待つ。
『……日、18時35分』
今度の背景は比較的、というか、すごく静かだった。
テーブルの上のお皿を一まとめにして台所へと運び、散らかったままの残ったおつまみを一つの袋にまとめた所で、私はまだメッセージが流れていない事に気付いた。
携帯の表示を見ると、もう優に1分は過ぎている。
私の携帯の留守番電話のメッセージは2分まで録音が可能で、多少長引いても大丈夫なんだけど。
まさか、2分きっかり無言なんじゃないんだろうか?
「……イタ電? 全く」
たまに何も言わないまますぐに切る人もいるけれど、無言留守録なんて初めてで。
何だかからかわれたような気分になってメッセージ再生を中断しようとしたその時。
『あーっと……佐藤、です』
「……え?」
ついさっきまでここにいた人間の声が携帯から聞こえた。
私は慌てて受話口に耳を押し当てた。
『こないだは、ごめん』
ポツポツと言葉を吐き出すように、声が聞こえてくる。
『でも、助かった。ありがとう。それだけだから、じゃ』
少しだけ笑いが含まれた声の後、一呼吸置いてメッセージの再生が終わる。
終わっても、私は携帯を持ったままで固まっていた。
これは不意打ちだ。
しかも、思いがけないほど強烈な。
こんな事をされると余計に気にしてしまうのは、やはり私が強く意識しているから……?
ひとつ小さく息を吐いて、携帯を耳から外すと、サービスセンターとの回線を切った。
「でも………いつの間に」
待ち受け画面の上に表示されている時刻は、現在21時39分。
今日は集まるメンバーが午前だけの講義だったので、真っ昼間から集まって騒いでいたのだ。
彼女とは大学からずっと一緒で、さっき別れるまでずっと共に行動していたはずなのに。
……そういえば、一度だけおつまみが足りないからと彼女が一人で近くのコンビニへ買い出しに行った気がする。
それじゃ、その時に?
「そんな素振り、全然見せてなかったのに」
携帯を折り畳んでテーブルに置く。
全く、キザなのか、照れ屋なのか。
それとも、面と向かって言うのは嫌だっただけなのか。
……まぁ、仮に私がその立場だったとしたら、同じ事はしないだろうけど、似たような事はしたかもしれない。
ふと、携帯を握ったままテーブルに置いていた自分の手が目に留まった。
思えば、意識し始めたのはあんな事があったから。
ついこないだの事が脳裏を過る。
『これで、間接キス』
口端を少しつり上げて笑みを浮かべて、目は真っ直ぐに私を見つめて。
彼女は私の指先へ、軽く口づけた。
ただそれだけの事なのに。
彼女から打ち明けられた事柄よりも、私はその行動に気を奪われていた。
私は慰めにもならない言葉を投げつけたというのに。
「………………」
無意識に見つめていた右手の指先に気付いて、左手でくしゃりと握る。
思い出してしまうのは、きっとまだ日が浅いせいだ。
そのうち、日々の事に捕らわれて小さな事が気にならなくなるはず。
そう、これは小さな事だ。
「<――――馬鹿みたい」
小さく呟いたら自然と笑みが零れた。
こんな事を嬉しく思うなんて。
馬鹿みたい。
心の中でもう一度呟いた。