足跡
乱暴に身体を投げ出したベッドがギシギシと軋んでその衝撃を吸い込んでいく。
見慣れない天井の灯りをぼんやりと見つめて、一体何の目的があってここまで来たのかを思い返した。
自分の物じゃない服を着て。
自分は使わない香を纏って。
自分の部屋じゃない部屋にいる。
――――確か、何か目的があったはず、なのだけど。
それが思い出せないでいた。
煌々と輝く白の光に眉を顰めて、目を閉じる。
すぐにでも眠れそうだと思った。
自分が独りではないと思える事が、今は多分重要なんだと思った。
額に手の甲を当てて目に掛かる光を遮る。
最近になってようやくわかった。
その実、私はとても臆病で。
その実、私はとても欲深い。
気丈に見せる事がこんなにも苦痛だとは、今の今まで全く思わなかった。
それが当たり前の生き方だと思っていた。
だからその様にしか生きられなかった。
私はとても臆病で。
私はとても欲深い。
その事を他人に知られるのはとても恐怖だった。
私にそのつもりは無くても、何にも物怖じせず、聞き分けの良い人間として好まれていたから。
ギシリと、不意にベッドが揺れた。
手を退けて目を開けると、見慣れた顔がすぐ目の前にあった。
口を開こうとして、顔が近づく気配を感じて咄嗟に目を閉じた。
一呼吸の間。
何もなく離れた気配に目を開けると、少しだけ片眉を上げてこちらを見る瞳と目が合う。
「泣いてるのかと思った」
心配して損した、なんて軽口を叩いて身体を起こし、そのまま立ち去って行く。
ふわりと動いた空気につられて私も身体を起こすと、窓辺に凭れて髪を拭く姿が目に入った。
「どうして、そう思ったの?」
「ん?」
「私が泣いてるって」
面倒くさそうにこちらを見た彼女を見つめ返すと、別に、と素っ気無い返事が返って来た。
「独りにされて不安になったのかなって思っただけよ」
そして、口端を吊り上げて強気に笑う。
ジクリと胸の奥が軋んで、痛みが何かと重なった。
「泣いていれば良かった?」
「やめてよ。泣き虫をあやす程暇じゃないの」
うんざりと、けれど笑ってくれた顔にまた何かが重なる。
痛い、と思った。
内から湧き出すような痛み。
どうしてこんな痛みを感じるのか。
湿り気を残したセミロングの髪を櫛で梳いてまとめると、それで?と唐突に会話を促された。
突然の事に首を傾げて見せる。
「ま、聞かなくてもわかるけど」
「……わかるの?」
「あなたをそんな腑抜けに出来るのは、一人しかいないでしょうに」
何を今更、って。
今度こそ呆れた溜息が聞こえた。
一人しかいない。
その見解は多分間違っている。
一人しかいないのではなくて、一人だけだと思い込んでいる。
私も、きっと彼女も。
それが正しい事だと、思い込んでいる。
自分の机の椅子に腰掛けて対面のベッドに座る私と向き合う形になる。
キィと軋む鈍い音が静かな部屋に響いた。
見つめられる。
その視線から逃れようと顔を伏せた。
痛い。
何だって、そんな。
「ねぇ」
トーンの落とされた低音。
何かを探るような、そんな呼び掛け。
染み込んだ声が、ひとつふたつと足跡を付けていって。
「私は、聖ではないのだけれど?」
ざくりと、跡のあった箇所を踏み付けた。
途端、息が詰まりそうな程鼓動が跳ね上がる。
言わないで欲しかった。
このまま思い出さないで朝を迎えて、何もなかったように別れて。
一人になってようやく気付くぐらいの残酷さを与えて欲しかった。
この友人は、それをわかっていながら口にしたに違いない。
――――思い出した。
私は、臆病だから。
私は、欲深いから。
一人は嫌で。
泣くなら誰かと一緒が良くて。
けれど、受け止めて欲しいと願う腕は一つしかなくて。
「わかってる。今更、違えないわ」
腰掛けていたベッドから立って、冷えてしまった素足で床を踏み締める。
受け止めて欲しいと願う腕は一つしかないのだ。
それは、もう既に嫌という程教えられた。
教えられてそこへ導かれても。
今はどうしようもない甘えが顔を覗かせているから。
「うそつき」
ちゃんと真っ直ぐにそこへ帰れるように傷つけて欲しいだなんて。
そう思ってしまうのは、私が臆病だからなのか、はたまた欲深いからなのか。
拒絶を露わに浮かべている目をかわして伸ばした指先は。
付けられた足跡と同じ冷たさと。
私が持っているのと同様の悲しみに触れた。