スキ

「しりとりしよう」

 我ながらなんて短直な考えなんだと思いながらも、涼しそうな横顔にそう提案した。

「何でまた?」
「ヒマだから」

 休日の昼下がり。
 縁側の猫よろしくな暖かい日差しを受けてベッドへ転がっている私と、いつものように本を読んでいる蓉子。
 本当は暇というわけじゃなくて。
 何と言うか、一種の軽い悪戯を思いついたから。

「負けたら罰ゲーム。そうだな……敗者は勝者の言う事をひとつ聞く、ってのどう?」
「いいわよ」

 読んでいる雑誌のページを捲りながら蓉子が頷いた。
 文句のひとつでも挟んでくると思っていたから、あっさりと許可されて少し拍子抜けした。
 でも、よし。
 これで第一関門は突破出来た。

「ルールは簡単。コトバなら何でも良し」
「とりとめないわね」

 笑う蓉子を横目で見つつ、寝転んだベッドから起き上がって蓉子の横に座り直した。

「意外と役に立つのよ。じゃ、私から。はじめだから、しりとり」
「り? ……りんご」
「ごま」
「マント」
「跳び箱」

 罰ゲームを掛けた戦いだと言うのに、蓉子は余裕綽々に本を読んでいる。
 それどころか、こちらを見向きもしない。

 ……ちぇ。

 起こしたばかりの身体を再度ベッドへと投げた。

「コーヒー」
「ひまわり」
「『い』じゃないの? 母音で取るなら」

 そんな抗議の声と共に、ようやく蓉子がこっちを向く。
 少し呆れたような笑みを浮かべていた。

「いいのいいの。のばすコトバは各自の解釈で」
「そう。じゃあ…………り、リス」

 よし、来た。

 雑誌に視線を戻した蓉子の横顔を盗み見る。
 これを言ったら、どんな顔をするのか。
 寝転んだ体勢のまま蓉子の後ろへ回り込んで、すぐ隣までにじり寄る。
 そうして、涼しい顔をしている蓉子の服の腰の辺りの裾をちょいちょいと引き寄せて呼んだ。
 程なくして蓉子が振り返る。

「スキ」
「……えっ?」

 思った通り、きょとんと目を瞬かせた後、少し困惑した表情を浮かべた。

「……これ、しりとり、よね?」
「そうだけど?」

 私の言葉に少し考える素振りを見せてから、パタンと読みかけの本を閉じてすぐ前のテーブルへと置いた。
 ようやく本気で相手にしてくれる気になったみたいだ。
 そうでなくちゃ、ドッキリを仕掛ける方としては面白くない。

「コトバなら何でもいいのよね?」

 振り返りながらそう言った蓉子は、やっぱりまだ余裕綽々に笑っていた。

「そうだけど?」
「次は『き』、だったわね」

 頬を掠めた髪をかきあげると、彼女は自身の口唇に指を当てにっこりと微笑んで、

「キスしよう?」

 なんて事を口走った。
 しかもご丁寧に私の顔を覗き込んで。

「うん」

 だから嬉しさが先走って即答してしまった。
 言った後、やってしまったと気付く。
 それは、蓉子が言うはずのセリフだったから。
 しかも自分から終わらせてどうする。

「聖の負けね」
「ハメたな?」
「簡単に引っ掛かったあなたが悪いんでしょ?」

 クスクスと笑いを零しながら、蓉子は何故か私のハイネックの裾から手を忍ばせて一気に鳩尾辺りまでたくし上げた。

「ちょっ、タンマっ! な、何?」

 反射的に身体を起こしてその手を掴んで止める。

「何って、罰ゲームよ? 敗者は勝者の言う事をひとつ聞くんでしょ?」

 飄々とそう言うと、途端に真剣な顔をして蓉子が私を見た。

「責任は、ちゃんと取ってもらうからね」

 

 くちゅりと湿った水音がやけに大きく響いた。
 それに伴った高い声が小さく上がって、次第に荒い呼吸に変わる。
 入口をなぞっていた指先を引き上げて私の手を濡らしたそれを舐め取った。

 まだ昼間だと言うのに、窓もドアもカーテンさえも締め切った部屋の中は薄暗い。
 それまで漂っていた温和な空気が、今は一転して一種の緊張感すら漂っている。
 こんな事になったのはどういう展開からだったのか。
 容易に思い出す事は出来たけれど、今は敢えて考えない事にした。
 今は――――あまり見る事が出来ないこの顔を見ていたかったから。
 切なそうに肩で息をしていた聖がうっすらと目を開けた。
 しばらくは虚ろに天井へと視線を泳がせていたけれど、順を追って視線を下ろして来て、最後に私を見つけて止まった。
 上気してうっすらと薄紅に染まっている額や頬に張り付いている髪の筋や。
 僅かに歪んだ眉根や。
 潤んで腫れぼったく見える目元。
 それらが手伝って、整端な顔がより強い艶を出している。

「……蓉子」

 気怠るそうに呟いて手を伸ばして来た。
 それ答えるように、聖の顔を上から覗き込む。

「責任って、何?」

 色々考えたけど思いつかなかった、と彼女は大きく息を吐いた。
 思わず笑いそうになって、零れそうになる笑みを噛み殺した。

「言わないとわからない?」
「わかんないから聞いてるんでしょ?」

 それもそうかと、今度は笑ってしまった。
 私の頬に触れていた聖の指先が滑って髪に絡む。

「けど、言っても覚えてるかしら?」
「いーから、言ってみなって」

 くるくると私の髪を弄ぶ指先を無視して、聖から視線を逸らす。

 聖は覚えていてくれているだろうか。
 もう随分も前に言った私の言葉を。
 あれからまだ、たったの一度しか聞いた事のない言葉を。

 覆い被さるようにいた身体を起こして聖の足元へと座り直す。
 聖もゆっくりと身体を起こして私と視線を合わせた。

「高校の卒業式の後、一緒に帰った事は覚えてる?」
「……卒業式?」

 一年前の事。
 夢のような楽しい時間の延長線で口にしてしまった言葉。
 本当は言うつもりなんてなかった。
 最後まで私は「親友」の位置のまま動けないのなら、打ち明けても仕方のない事だから。
 記憶の糸を手繰っているのか、聖の眉間が僅かに歪んだ。
 真剣に考えてくれているだけで、何だか嬉しいと思う。

「あなたには、とても小さな事だったかもね」

 苦笑して見せて、目に付いたくしゃくしゃに脱ぎ捨てられたジーンズを手繰り寄せて手早く畳む。
 覚えていなくてもいい。
 これは、私のエゴだから。
 気持ちが通った今でも縋りついている私の弱さ。
 そっとベッド下に置くと、聖が小さく声を上げた。
 何かに思い当たったのか聖の口元に笑みが零れていた。

「そっか」

 ギシリとベッドが軋む。
 伸ばされた手に誘われるように、開いた距離を縮める。
 一度。二度。三度。
 口唇が交差して。
 四度目は、冷えかけた熱を呼び覚ます程の激しさを。
 ぎゅっとしがみ付く彼女の肩を再度ゆっくりと倒して、何も身に着けていない胸へと指を這わす。
 口唇を交わしながら、胸から鳩尾、下腹部へ。
 肌の上をなぞるだけの緩い愛撫。
 それでも、落ち着きかけた熱を引き出すには十分だった。
 汗ばみ始めた肌へと口づける。
 柔らかい感触を啄ばむように愉しんで、滑らせた指を追って下っていく。
 鳩尾から臍、下腹部へ。
 肌へ触れる度に息が上がり、次第に吐き出す呼吸は声になる。
 辿り着いた曲線のその先は、既にシーツに大きな染みを作るまでに潤っていた。
 滴り落ちそうになる雫にキスをする。
 ビクンと大きく彼女の身体が揺れた。
 少し遅れて、両の脚が私の頭を挟むようにして動く。
 構わずに今は口を開けているそこへ、舌を差し込んだ。

「っ、ぅんっ! は、っあ……」

 先程までとは違う高い声。
 違う姿を見て、声を聞いて。
 感覚さえもいつもと違う聖を全身で感じて。
 とろける様な熱さを舌で掬って。
 際限なく溢れる愛液を吸って。
 鼻や口から吸い込む匂いにも自身の昂ぶりを強く感じる。

「お、ねが……っ、っと、強くっ」

 泣きそうな声を遠くで聞いて、膣内をこすり付けていた舌先に力を入れる。
 同時に、茂みに隠れながらも自己を主張してる小さな核を見つけ、指先で軽く触れた。
 ぎゅっと差し込んでいる舌を締め付けられる。
 惜しげもなく紡がれる甘い嬌声が、荒い呼吸が。

「……よ、っ……こ」

 合間に私を呼ぶ声が。

「は、んっ、ぁ――――!」

 触れられてもいないのに、快楽が肌の上を、身体の中を駆け巡り。
 夢中で聖に食らいついたまま。
 聞こえる息遣いと、奏でる淫らな音と。
 二人を包む空気の甘さで、もう、正気になんて戻れない。
 吐き出される声が艶を持ったただの音に変わる頃に。
 キンとした緊張に誘われるまま、私も聖も、意識を手放した。

 

「んで、さ。今更なんだけど」

 厚ぼったいハイネックの代わりに薄いTシャツを被って、顔から枕へと突っ込む。

「何?」

 部屋を閉め切る前の涼しい顔をして、蓉子が少しだけ小首を傾げた。
 ベッドにうつ伏せになったまま目だけを彼女に向けて、逸らす。
 どうも、改めると照れくさい。

「あの時、言いそびれた事あってね」

 再度枕に顔を埋めて、そのまま深呼吸。

 あの時――――。
 高校の卒業式の後。
 リリアンの校門を抜けた後の何気ない会話の途中で、不意に蓉子に冗談でもいいから私に「好き」と言わせてみたかったと言われた。
 その時は、彼女に先を越されて言わなかったけれど。

 それから、言ったのはいつだったか。
 一緒にいる時間が長過ぎてちゃんと思い出せないけれど。
 あの時も確か、今みたいに緊張していたような気がする。

――――ははっ」

 急に可笑しくなって、気がつけば声に出して笑っていた。

「何よ急に。怖いわね」
「いや、何も変わってないなと思ってさ」

 確かに変わった事はたくさんあるけれど。
 思い起こせば、結局変わっていない事だってたくさんある。

 例えば、蓉子。
 相変わらずの世話焼きで、お節介で、しかし意地っ張りで。
 例えば、二人。
 手を伸ばせば届く距離で、傍にいるのは当たり前で、だからこそ心地よい。
 改めて、そう思う。

 きょとんと私を見る蓉子に笑って見せて、勢いよく起き上がる。

「ここは、変わらないから」

 トントンと自分と蓉子の胸を交互に指先で突いた後、

「って、言いたかったんだけど」

 やっぱり、改めると照れくさい。
 まだ勢いに任せて肌を合わせている方が幾分かマシだと本気で思った。
 その点では、素直に口に出せる蓉子がすごいと思う。
 ふと、蓉子が笑い出した。
 そうして、何か合点のいった表情で私を見る。
 あれは期待の目だ。
 マズった。
 何故か今日はとことんペースを崩される。

「他に、言いたい事でもあるの?」

 堪えきれていない笑みを零しながら、それでも瞳は私へと真っ直ぐに。
 だから、つられて零した笑みのついでに、思い切りの笑顔を見せた。
 ありったけの気持ちを込めて。

「スキだよ」

▲PageTOPへ