昼下がり

 不意に背後に気配を感じて、マウスを動かす手を止める。
 と、突然後ろから抱きしめられあたしは息を飲んだ。
 いつも使う石鹸と同じ匂いが辺りに舞う。
 きゅっと、あたしを抱きしめる腕に力が入った。
 背に強く当てられる淡いぬくもりに、ドクンと、心臓が高鳴る。
「………………霧香?」
 やっとの事で搾り出した言葉を何とか吐き出す。
 ……いつもこうして、突然に触れてくる。
 だからいつもビックリして、何も出来なくなってしまう。
 あたしの呼びかけが聞こえていないのか、返事はなかった。
 これも、いつものことだ。
 だから特別気にもしなかった。
「……ミレイユ……」
 小さくあたしの名を呼ぶ声がすぐ耳元で聞こえる。
 それに誘われるように、少しだけ後ろに振り向いた。
 すぐ息がかかりそうな程の至近距離に、霧香の顔。
 あたしはまた小さく息を飲みこんだ。
 霧香がまっすぐにあたしを見つめていたからだ。
 少しの憂いを含んだ、紅い瞳。
 その瞳の中にあたしが映っている。
 すっと、その瞳が閉じられた。
 そうして、ゆっくりと近付いて来る唇。
 次に何をされるかを理解して、あたしも目を閉じた。
 いつも、こう。
 いつもこんなふうに強引に迫ってくる。
 そしてその雰囲気にまんまと飲まれている自分が、時々悔しく思う。
 唇に触れるまでのほんの少しの距離が長く感じて、閉じた目を開けようとした瞬間。
 ガクリと、あたしの肩に崩れ落ちる重みを感じた。
 咄嗟に目を開ける。
 見ると、規則正しい寝息を立てて眠っていた。
 何が起こったのかがよく飲みこめず、しばらく霧香を見つめる。
「…………なに? その気だったのは、あたしだけ……?」
 小さく聞こえる寝息を聞きながらポツリと呟く。
 ………………。
「いい加減に起きなさい!」
 肩にもたれて眠っている霧香の後ろ頭を思いきり手のひらではたく。
「……んっ…………いたい……」
 寝ぼけた声がして、ゆっくりと霧香があたしから離れた。
 寝ぼけた顔のまま殴られた後ろ頭をさすっている。
「もうお昼過ぎよ? 寝すぎ」
 あえて霧香の顔を見ないようにしてそう言い捨てる。
「……え? ……あ、ごめんなさい……」
 控えめな呟きが後ろから聞こえる。
 それに僅かに苦笑を零して、あたしは霧香に向き直った。
 寝起きのボーっとした顔のまま、まだその場に突っ立っている。
 今度こそ可笑しく思えて、口元に笑みが零れた。
「……どうしたの?」
 笑みを噛み殺しているあたしを不思議に思ったのだろう。
 頭のまわりにハテナマークを浮かべながら、不思議そうにあたしを見る霧香。
 そんな霧香にちょんちょんとこっちへ来るように手招きする。
 ますます不思議な顔をしながらも、ひょこひょことあたしのすぐ目の前に立つ霧香。
「……いい加減、目、覚ましたらどう?」
 僅かに笑みを零すと、腰掛けていた椅子から立ち上がり霧香にひとつ、口づけた。

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